花籠

ちりぢりに通夜客別れ冴返る
料峭や通夜席甘き花の籠

まほろば句会の選者が亡くなられた。

この一二年めっきり足腰が弱られたが、直前まで元気に投句されて、最後は入院先で九十三年の生涯を閉じられた。
初めて句会というものに参加したのは六年前、都度眼前の季題のとらえ方など丁寧にやさしくご指導いただいたことが懐かしい。
この「料峭」という言葉を教えてくださったのも先生で、寒の戻りが厳しかった今日の風に似合う言葉であろう。
ホールの中は暖房もよく効いて花籠の百合やカトレアなど甘い香りが会場いっぱいに広がっていたが、外との気温差は大きく通夜の儀を終えても誰も語ろうとせずそれぞれ帰途についた。

ど根性大根

野菜屑コップに育ち花大根

twitterで面白い画像がアップされた。

わが家でも利用済み豆苗のパックを窓口において10センチほどに育っている。
この大根の花はさしずめ「ど根性花大根」というべきか。
情が移って捨てるに捨てられないという言葉にこのひとの優しさを見た。

花粉に負けず

鼻声でねだるも狡し春の風邪

インフルのピークは過ぎたようである。

が、花粉アレルギーがひどくなるのはこれから。
試しに薬を処方してもらったが、日に一回寝る前に飲むお約束がどうも守れない。飲んだり飲まなかったりの繰り返し。
だが、その薬効あってか先週日にティッシュ一箱も使ったのが今のところ嘘のように再発しない。継続して服用するのがいいようである。
雨上がりの後がもっとも危険と聞くのでなるべく外には出たくないが、やはりバードウオッチングの魅力には勝てない。顔にはマスク、頭にはすっぽりの帽子、滑りやすい繊維の服装、いろいろガードしながらまた大鷹の揚々とした飛翔を探しに出かけるとしよう。

復調か

多武峰ひと筋けぶる野焼かな

気温がぐんぐん上がって気持ち悪いくらいである。

おまけに無風に近く、飛鳥吟行には最高の条件。
野を燒く煙が這い上って多武峰をかきくもらせる。
あらためて飛鳥野を見渡せばかしこに畦焼く煙も立ちのぼって、霞のようである。
春田のずっと先にはたおやかな耳成山がいっそう柔らかく見える。
足もとには早くもイヌフグリが咲き始め、草萌えの春田も起こしてもらうのを待つかのようである。
気分もよくして、望外の出来。ここ二、三カ月の絶不調も上向くかどうか。

ジェットコースター

立春に絞りし酒のラベルかな

奈良は清酒の発祥地だそうである。

室町時代に市内の正暦寺ではじめて醸されて、その伝統をほそぼそとつないできたが、最近は清酒発祥地を合言葉に県内醸造元にも種母が配られて各社はその味をアピールしている。
いずれも地元消費が多く、必ずしも全国的な知名度は高いとは言えない。今日立春の朝に絞ったものをめでたい「立秋朝絞り」として即日出荷されたのも固定的な顧客宛であったという。
なにごとも欲の少ない県であるので、商品を県外にまで販路を広げる動きも鈍く、移住者からみると歯がゆいと思うことが多い。

それにしても気温の上下動が激しい。4月の陽気かと思ったら今夜にもすぐに逆戻り。ジェットコースターのような気温で体調を崩されることのないよう。

遠山ありて

ぬきんでて尖る山あり雪の山

案の定東山中の雪は解けたようだ。

かわって奥の山の白さが増してきたようだ。
とりわけ大峯の山々、そして独立峰の高見山が見事である。
明日からは春だというのに、雪山の雪山らしく見えるのがこれからだというのは不思議なものだ。

春近し

補助輪はもういらないよ春よ来い

最近は補助輪を使わないほうが早いといわれる。

あらかじめペダルを外してしまって、両足で地面を蹴りながらバランスよく前へ進むことから始めるそうだ。
まずはバランスをうまくとることからスタートさせるというわけだ。これに慣れたら再びペダルを取り付け、そしてハンドル、ブレーキと徐々に慣れさせてゆく。
今日は土曜日とあって公園には家族連れが多く、そのなかにヘルメットがよく似合う、真新しいペダル無し自転車にまたがった女の子が両親を従えてすたすた進んでいるのをたまたま見つけた。あの様子ではつぎのステップに進めそうである。
そうなると、この春は自立して乗れる日も近いのではないか。
這えば立て、立てば歩めやじゃないが、親御さんも日々の成長が楽しみでしょうがないであろう。

今日は気温が上がって三月の陽気だという。そう言えば明日は節分。明後日はもう立春である。
「春隣」「待春」などの季題詠むひまもなく春になってしまいそうである。