写生大会

画架背負ひて徘徊もまた花曇

絵はいまでも苦手だが、過去一回だけコンクールに入選したことがある。

それもはるか昔、たしか小学校4年生のときでなかったか。その年から水彩画を習うことになっていて、新学期の前に絵筆や絵の具など買ってもらったばかりであったと思う。
近所にハイソな家の同級生がいて貧乏な家の子とよくつきあってくれたものだと思うが、まだ春休みであったか、写生に誘われて言われるままに出かけた。その子には姉もいて、水彩画にも手慣れた風だった。河原に降りて下から見上げるようにして桜の土堤を描こうということだった。
今考えてみても、なかなか面白いアングルで、土堤の先には橋もかかっていてこれも画用紙の端に入れた記憶がある。
市主催のコンクールに応募したことなどすっかり忘れていた頃、クラスの先生から入選を聞かされたときはたいへん嬉しかった。
今思えば、カメラで言えば広角レンズで切り取ったような画角で、友達に言われるままに河原に降りたことが決め手だったと思う。一人だったらとても思いつかなかったろう。
そんな得難い友人も間もなく転校となって、以来再びコンクールに応募する機会はこなかった。

“写生大会” への6件の返信

  1. 写生大会、懐かしい言葉です。
    小学生時代の良き思い出ですね。
    俳画に挑戦されたらいかがでしょう。

    私は絵が大の苦手、絵の上手な人が羨ましくもあり尊敬もしている。
    書のお稽古に通っている先生の師匠(亡き大先生)は書の大家であったが絵も文章も一流だった。
    「書晨」という競書誌には先生のお手本や俳画が載る。
    絵は努力だけではどうにもならない気がする。
    おおいなる遺伝子の働きではないかとも・・・
    今はとても画材が豊富で素人でも何とかなると言うが私にはとてもとてもの遠い世界である。

    1. 俳優さんにはマルチタレントが多くて、意外なひとが絵がうまかったり。
      アートというのは、基本デッサン力のようで、生まれつきの素描の上手い下手はあるような気がします。そういう点からすると、私などはからっきしだめで、写真など撮ったのをあとからみても、結局何が言いたかったのかさっぱり分からないものばっかり。あげくパソコンのディスクの大半をゴミで占めてしまうという。
      俳句でも、蕪村は菜の花のように、絵画的な句をおおく詠みましたが、私にはとてもとても。

  2. 写生大会、アウトゴーイングは楽しかったですね。

    絵と聞くとしょぼっとなります。才能なし努力もなしではどうにもなりません。小学校の算数教えてて平面図・側面図までは任せなさいなんですが投影図となるともうお手上げです。いやになります。

    源氏物語では須磨明石で源氏が画いたすさび画きが絵合での勝利の決め手になる。天分なんですね。

    1. パース図というんですか、俯瞰するような絵ですが、たしかに立体的なものの見方というのは、「感覚」に近いものがあって、こればっかりは「天賦」の才がものいうんでしょうね。

      源氏は歌を詠ませても、管弦をやらせても、スーパーマルチタレントだから面白いんですよね。ところが、そのスーパーでも叶わないものがあるという設定が話を面白くも深くもする。

  3. 昨日は40会のハイキングで深大寺、神代植物公園に行ってきました。
    深大寺の参道から山門あたりは写生に適した風景だと感じました。
    ちょうど灌仏会の行事があり、数十年ぶりに甘茶をいただき、誕生仏に小さな柄杓で甘茶をかけました。懐かしかったです。
    句碑、歌碑が多く、ボランテイアガイドさんの丁寧な説明もありがたかったです。仲間の手作りのイチゴ大福や土筆の煮物ありのお昼をみんなで楽しみました。お天気も味方につけての一日でした。

    1. なおちゃんの写真で見ました。年々参加メンバーが増えて何よりです。手作り弁当とはまたゆかしい。
      しかも灌仏会に来合わせるとは幸運でしたね。一度は詠んでみたい季題ですがまだ機会に恵まれません。
      深大寺の句碑といえば、虚子と草田男の代表的な句があると聞いてます。

      遠山に日の当りたる枯野かな 高浜虚子
      万緑の中や吾子の歯生え初むる 中村草田男

      「万緑」が季語として定着したのはこの句によってと聞いてます。

      そう言えば、今日は虚子忌。

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