都会さ、いぐだ

啓蟄やたまに鄙から出るもよし

暖かくなってくると、虫だけでなく人間だって、たまには田舎から都会へも行ってみたくなる。

だけど悲しいね。
地理も交通機関も馴れてないので目的場所へは時間がかかること。
やっとたどり着いたら、今度は定休日だって。

“都会さ、いぐだ” への9件の返信

  1. 「鄙」が読めなくて、漢和辞典で調べました。
    「ひな」と読むのですね? (又一つ 賢くなりました。)
    啓蟄を迎え、虫達と同じ目線で「鄙」から出てみる、とは!
    ホノボノとした温もりが感じられました。

    しかし お住まいは それ程田舎では無いと思っておりますが?
    所で「やっとたどり着いたら、今度は定休日だって。」とは、目的地は
    どちらだったのでしょう?(野暮な質問ですね)

    因みに 私の住んでいる西多摩では、都心に行く事を 何も躊躇せず
    「東京に行く」と言うのですよ。ここも東京なのに!    nao

    1. 中央線が皆東京行きだからそう言うようになった?
      同じ西効部町田ではそういう言い方はなかったような。

      気晴らしに大阪の難波まで行ってみました。地下でうろうろしてしまいました。地下街というのは何処の街でも最初は戸惑うものです。

  2. 啓蟄、、これも味わい深い言葉ですね。土中に蟄居していた虫が穴を穿って這い出す。いかにも春への蠢き・胎動を表わすことばだと思います。時候の挨拶文にピッタリなんでしょうね。

    大阪も近そうですね。大阪駅も大分変ったし、橋下市長も頑張ってるし(ボクにはあの政治手法はダメだけど)。。。難波・浪速・なんば、、は何と言っても日本の大事な所、活況を取り戻して欲しいと思っています。
    (この仕事で大阪には毎年10回X9年くらい通いました。この5月で終わりです)

    1. 今日は20度近い暖かさ。4月上旬の陽気だと。虫もあわてて這い出すかも。
      替わりに花粉で目がしょぼつくこと。花粉症の人が「外出が辛い」と言ってたのを身をもって実感してます。
      新大阪までは1時間程度ですから大阪のミナミなんてほんと近いですよ。前住所なら新宿に出るよりはるかに近い感覚です。まだまだ大型開発が続いてるようで変貌ぶりがすごい。アジアの活力を取り込むには大阪の方がいいかもしれない。
      橋下維新のやり方はボクも与しませんね。この春一挙に30%給料ダウンなんて狂気の沙汰、エクセントリックすぎるとしか思えない。その副次効果を侮ってるように見えます。

      1. 全くナチスドイツの手法を思わせるようなやり方は思い出すだけでも気分悪くなるので、口直しに、、

        難波を読んだ和歌が百人一首に三つ並んでいます。
        ⑱「住の江の岸による浪よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ」
               藤原敏行
        ⑲「難波潟短き葦のふしの間もあはでこの世をすぐしてよとや」
               伊勢
        ⑳「詫びぬれば今はた同じ難波なる身をつくしても逢はむとぞ思う」       元良親王

        この三つとも源氏物語に大いに関係あり、
        ⑱は明石一族の願懸け神社 住吉大社
        ⑲は紫式部が師と仰いだ伊勢の歌
        ⑳は光源氏のモデルの一人とも謂われる元良親王の歌。第14帖「澪標」(みをつくし)の巻で引用されている。

        定家はきっと源氏物語との繋がりを意識して難波の歌を三首並べたんだろうとボクは勝手に思ってるんだけど、、まだそんなこと言った人はいない。。じゃあね。。

           
          あっ、スミマセン、ハンドルネーム変えておいて下さい。
         

        1. 難波と言えば、こんな歌くらいしか思いうかびません。

          難波津にさくやこのはな 冬ごもり今は春べと 咲くやこの花

          1. おっ、よくご存知。難波と言えば先ずその歌ですよね。習字のお手本にこの歌が使われてたとかで、源氏物語第5帖「若紫」で幼い若紫がまだ手習いでこんな歌を練習してるだけなので、とても源氏の求愛に応えられないと祖母が断る場面でこの歌が引用されてます。

  3. はじめまして。niccawaです。初めて伺いました。

    俳句をされるんですね。写真と俳句…似ています。私はつい説明してしまうので、俳句はちょっと苦手なのですが(笑)、真似して作ってみました。

    去年の秋 落としし枝に 梅一輪

    庭の梅が、昨日一輪開きました。

    1. やあ、niccawaさん、こんにちは。
      そうなんです。最近そう思うようになりました。
      あ、きれいとか思ったら何でもかでも考えずに撮ってしまう悪癖のある私は、パソコンで取り込んでから「なんでこんなの撮ったのかな」といつも自己嫌悪に陥ります。
      要するに何を言いたかったのか、時分でも説明できないわけですよ(笑)
      写真も一瞬を切り取って伝えたいものを表現するという意味で、俳句とまったく同じですね。
      これからは俳句を頭に置きながらファインダーをのぞくという規則にすればいいかもしれません。要するに詩心ですな。

      道は遠い。

      フォト俳句の鉄則は「つかず離れず」ですが、このブログはフォト俳句からはほど遠いものです。たまたま撮れたら載せる。そういう感じです(笑)
      フォト俳句用サイトも別に持ってるんですが、力不足で開店休業中です。

      また、おいでください。
      俳句は数打つことです。人の批評に晒すことです。これも写真と同じ。ぜひやってみたらいかがですか?
      追)VR付きのレンズって持ってないのですが、そんなにくらくらするものですか?

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