吉野山桜権現詩ごころ
来週吉野に登ろうと思う。
この季節、いうまでもなく桜の山として賑わうが、古来から歴史と大きな関わりをもってきたという点でおおいに興味をそそられるものがある。
天武の蜂起を支援し、義経逃避行を助け、南朝が宮を置いたりとか。
それに何と言ったってあの桜の西行さんが3年も庵を結んだ山なので、その跡を訪ね、苔清水を掬って西行さんにあやかろうと思う。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
吉野山桜権現詩ごころ
来週吉野に登ろうと思う。
この季節、いうまでもなく桜の山として賑わうが、古来から歴史と大きな関わりをもってきたという点でおおいに興味をそそられるものがある。
天武の蜂起を支援し、義経逃避行を助け、南朝が宮を置いたりとか。
それに何と言ったってあの桜の西行さんが3年も庵を結んだ山なので、その跡を訪ね、苔清水を掬って西行さんにあやかろうと思う。
おっしゃる通り吉野は桜と歴史の極めつけの場所ですね。
今まで相当山深い所だろうと勝手に思っていたのですが、「万葉の旅」を読んでそうでもなく、むしろ都大和の奥座敷的な意味合いを持った所だったのかなと感じました。持統帝は31回も行幸してるとか、、何かあると気晴らしに行ってたのでしょうかね。
レポート、楽しみにしています。。
天武、持統とも壬申の乱のおりの吉野人の貢献を忘れなかったということもあります。吉野の住人・国栖の人たちは以降特別な処遇をうけることになります。今に続く国栖奏が平安末期まで宮中で奏されたようです。
また、皇子たちを宮滝宮に集めて結束を求めたという「良き人の 良しとよく見て 良しと言ひし 吉野よく見よ 良き人よく見」には吉野に対する霊的な場所としての崇拝の意味もあります。天武系の天皇の行幸が特に多いですね。