豊かなものがたり

巳神のとぐろと見ゆる山笑ふ

ご神体の山は蛇がとぐろを巻いている形であるとも言われている。

三輪山には古事記に「大物主大神と活玉依姫(いくたまよりひめ)の恋物語」で、姫のところに夜な夜な訪ねてくる若者の衣に糸をつけて後をつけると三輪山の大物主大神だったとか、日本書紀に「大物主神の妻・迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)」が夜しか顔を見せない大物主神に顔を見たいと言うと、決して驚いてはいけないという条件で姫の櫛箱に入っていることを打ち明けるが姫をこれを開けて悲鳴を上げると大物主神は三輪山へ帰ってしまった。姫をこれを恥じて陰を箸でついて死んだ、など多くの逸話が伝わっている。
このあたりは、三輪山の神語りにあるので、ご覧になると他にも美酒つくり、杉玉など、古代の深層に連なる豊かな物語があることが分かる。

“豊かなものがたり” への6件の返信

  1. 記紀の日本神話には巳やうじ虫など一見気持ち悪いものが出てきますね。
    でも「三輪山の神語り」を読んでみると結構面白く興味深いものがありますね。
    箸墓のいわれもなるほどそういうことだったのかと納得でした。

    今日から体操教室が再開されました。
    習慣が途絶えて何となくだらしない日々を送っていたのがシャンとして気持ちよかったです。
    サーキット内のマシンの間隔が広げられ換気や消毒の回数も増やされ万全を期している感じでした。
    映画館ではサーモグラフィーを通しての入館でした。
    日本アカデミー賞受賞の「新聞記者」を観ました。

    1. 市町村によっては授業再開という英断を下したところもあるようです。撲滅などできないので、ウィルスの特性をよく知って、賢明な対策を打ちながらお付き合いしてゆくしかありませんね。
      今日は動物病院で長く待たされてヒヤヒヤしてました。

  2. 巳神のとぐろと見ゆる山笑ふ

    確かに、三輪山は プリンに見えたり蛇がとぐろを巻いているように
    見えたり不思議な山ですね。「山笑う」を末尾に持って来て、三輪山が
    揺れているようで春そのものの楽しい好い句ですね。
    因みに、三輪山の創始は大物主神ですが、この神さん,今だに、
    よう分からない神さんで、大国主神が国作りに苦労している時に、
    海からやってきて、「三輪山を祀れ」と言って手助けした由。
    何か裏があると思うのですが、意外に、取り上げが少なく、先週の
    三浦祐之さんのNHKカルチャー講座でも、全然登場しませんでした。

    1. 迹迹日百襲姫が第7代孝霊天皇皇女という伝説からすると、国づくり初期に実権を握った大国主命系勢力の一大祭祀場ともうけとれますね。降臨系の実質初代王権でもある10代崇神が現れるまでこの勢力が一帯を支配していて、その後もこの力が、国つ神系が、大和に意外に根強くしぶとく残っていたために、降臨系の神を伊勢に祀らざるを得なかったという構図が見えてきます。
      さらに、大物主神は大国主神の幸魂ともされているので、降臨系は大物主神の祟りを怖れたのかもしれません。ちょうど、のちに道真が天神様として祀られたと同じように。
      このように自己流の解釈をしながら国巡りをするのも楽しいものです。

  3. 「降臨系は大物主神の祟りを怖れたのかもしれません。ちょうど、
    のちに道真が天神様として祀られたと同じように。」

    → 大国主神は何十もの異名を持ち、子供は180人。これは実質的な
    支配者を意味するもので、個人名ではなく、国つ神=大和・倭・日本を
    支配した“政権” そのものの象徴でしょうね。
    その象徴が国造りに悩んでいる時に、“海の向こうから”やってきて
    「私を大和=三輪山に祀れば上手くいく」と suggestion。その通りに
    したら上手くいった・・・・。妙な話ですが、大物主神を 大和一帯を支配していた在来の政権(?)である国つ神の『象徴』とみれば ひじょうに
    分かり易いですね。 

    1. 一番分かりやすいのが物部氏で、最後の国つ神勢力だったのかもしれません。雄略に滅ばされた葛城氏も、蘇我氏との闘いに敗れた物部氏も表からは姿を消しました。
      出雲、賀茂、石上、三輪など原始の祭祀形態をとどめる神社として命脈をつないできてますが。

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