炭を焼く生計の株の蘖ゆる
櫟というのは成長が早くて、10年もすれば炭焼きの材料として使うことができるそうである。
さらにまた切株から何本も若い芽が吹き出して、それが8〜10年すればまた炭焼きの材料となる。
こうして10年分くらいの山を持っていれば炭焼きの材料には事欠かないわけである。
櫟はまた腐葉土のいい材料となる。一年も寝かせれば混ぜ物のない安心な腐葉土が手に入る。
サツモイモが特産の川越では畑の近くに櫟の林をもうけ、その落ち葉から腐葉土をつくり、火山灰土の関東ローム層を豊かな藷畑に仕立て上げている。
炭といい、腐葉土といい、SDGsの鏡のような自然循環にかなったサイクルである。
子どもの頃、祖父や父は炭焼きをして生計の一部にしていました。
おそらく櫟や樫の木が材料になっていたと思う。
櫟の木から食用になる幼虫が出てそれを香ばしく焼いたのを食べた記憶がある。
今思うとすごく原始的な生活をしていたものだな~と・・・
今日は天気にも恵まれタケノコ堀を楽しんだ。
孫の一人が掘るのが大好きで毎年楽しみにしている。
私は掘り手ではないのに竹林の斜面をうろうろしているだけで疲れて夕方から今の時間まで眠りこけてしまった。齢は争えない。
勤務の家人はまだ帰宅していない。
タケノコは何とか竹にもならずに待っていてくれた。
自然のなかで育った経験があれば、今の何もかも便利になりすぎて工夫の喜びを失ったことを寂しく思うことが多いと思います。もう一度やりたくてもそんな環境が残ってないことも多く残念です。
竹林は今「竹の秋」状態。遠くからでもこんもりとした黄金が見えます。古墳です。
今年は毎年届く筍がやってきません。不作年なのかな。
炭を焼く生計の株の蘖ゆる
渋い!!
好い句ですねぇ。
「蘖」辞書には、蘖は「孫 (ひこ) 生え」で、切り株や木の根元から出る
若芽と説明されていましたが、「蘖ゆる」は、ほだかさんの造語、ですよね。
櫟(くぬぎ)。チャリでよく行くズーラシア動物園の隣にある「四季の森公園」にくぬぎの大木があり、表皮のどぎついザラ肌が好きで、よく見とれています。そのくぬぎの蘖、見てみたい。
「ひこばゆ」という動詞があるんです。季語をかってに造語するなんてとても畏れ多くてできないですよ(笑)
「四季の森公園」というのはよく知らないのですが、かつての三保市民の森のことでしょうか。いずれにしろズーラシアのあたりは自然が保全されていい環境にありますね。
古い櫟の肌はネットを広げたような深い皺に刻まれて一目で分かりますね。