燕の翔ぶや千年二千年
盆地中央に位置する唐古・鍵遺跡を訪ねた。
2300年〜1900年くらい昔の弥生時代遺跡である。出土品から東は駿河、北は翡翠産地で知られる姫川、西は吉備など広い地域との交流があったことが判明しており、河内潟から東へ最初の陸揚げ地であるここは東西を結ぶ一級の環濠集落であったらしい。
田原本町営の大変立派な「唐古・鍵考古学ミュージアム」でボランティアガイドさんからあらまし解説をうけたあと、絵画土器に描かれた絵を元に復元された高さ12メートルの楼閣に向かった。楼閣は江戸時代に構築された溜池の中に建てられており、池の周囲に植えられた桜は今日開花したばかりという風情である。楼閣を巻くようにして多くの燕が飛んでいる。まさに太古から続く営みである。
万葉から古墳時代を超えて弥生時代・考古学ですか。興味が広がってて誠に結構ですね。土地柄をフルに活かした賢明な知的ワークだと思います。
燕が飛んでいましたか。早いですね。当地ではまだ見かけていません。
今大和広陵見ています。立田投手堂々としてていいですね。全国レベルだと思います。ユニフォーム智弁と似てますね。
もしかしたら卑弥呼と関係あるかな?と思って訪ねてみました。解説員の話では可能性は低いということでした。いよいよ巻向が本命かもしれませんね。
今ちょっとしたベストセラーの「出雲と大和」(村井康彦 岩波新書)によれば、出雲勢力が葦原中国進出したあと東征勢力に国譲りしたという説にたっていますが、氏は邪馬台国大和説です。
いろいろ説があって古代はいよいよミステリーですね。