行春や鐘は正午を告げにけり
西院伽藍の左奥の西円堂は拝観コースから外れていることもあって訪れる人はまばらである。階段を昇った一段高いところにあるので、木の陰から五重塔や金堂を見下ろすことができるし、遙か三山も見渡せる位置にある。
この日は春霞で残念ながら遠くまで見通せなかったが、太子はここから20数キロの道を馬で飛鳥に通われ、通われたみちは「太子道」、あるいは斑鳩と飛鳥小墾田宮(おはりだのみや)が直線的に結ばれていたので、古代道とされる「中ツ道」や「下ツ道」とは斜行する形になる「筋違道」とも呼ばれている。
話を鐘楼に戻すと、この鐘が子規が詠んだあの鐘なんだそうである。西院伽藍の外、鏡池ほとりにあった茶店はもうないがその跡とされる場所に子規自筆の句碑が建っていた。
ボランティアさんによるガイドが終わったときその鐘が正午を告げた。
これがかの有名な柿食へば・・・の句の鐘楼ですか。
タイミング良く正午の鐘が鳴ったのですね。
子規と同じ鐘の音を聞くことができ、さぞかし感慨深いものがあったことでしょう。
高台の良い場所にあるのですね。
「筋違道」当地にもありますが城下町に多いのでしょうか?
名古屋城の近くにはある橋ですが・・・
太子、子規を偲んで行く春の感じが句に現れていると思います。
西円堂内部には脱乾漆造では最大級といわれる薬師如来像(国宝・奈良時代)が安置されていて、後背の銘文には法隆寺の謂われが彫られているという貴重な資料でもあるのですが、訪れる人が少ないのはもったいない話だと思います。もし法隆寺に行かれることがあれば、真っ先に行ってみてください。木の間陰からみる大和盆地もいいものですよ。