埋まらぬ句帖

古寺に六十路の学や春闌ける

説明を聞き逃すまいと体全体を耳にして歩いた時間はあっという間に過ぎていった。

メモを取るいとまもなく次から次へ移ってゆくので、終わってみると細かな部分がすっかり欠落している。このペースではとても吟行にならず、手にした句帖は持ってきたままで全く埋まらない。こうなると、修学旅行に来ている生徒に混じってひたすら列に並んでは説明についていくしかない。

“埋まらぬ句帖” への6件の返信

  1. 色々苦心されてる様子がよく分かります。ボランテイアさんの説明もありがたい時もあり、いささか食傷気味の時もあり、難しいもんです。昔はゆっくり聞く暇もなく敬遠してましたがが今では聞くのもいいかなと思っています。

    1. 説明員さんも人によって個性があるのは当然だし、やっぱり得意分野となるとすごく詳しくなるんですが、当方としてはまだ全貌がつかめてないのにいきなり個別詳細になったりすると、終わってみてなんだったけ?なんてこともあります。
      反芻する時間があればよかったのですが、次から次へと説明があるので資料などで確かめるいとまもないと厳しいのかなとは思いました。
      事前にある程度押さえどころは予習すべきなんでしょうね。

  2. 説明者の話を聞き逃すまいと一生懸命ひと垣の後方から聞き耳を立てている微笑ましい光景が目に浮かびますね。思わず笑ってしまいそう!
    それにしても吟行というからには、もっとゆったりとした行程で見て回るのかと思ったら、意外に忙しいのですね。
    修学旅行生の一行に年齢のかけ離れた見ず知らずのオジサンがくっ付いているのも何か滑稽な感じがしないでもないけど、いいアイデアですね。頑張ってください!!

    1. お隣の平群町生涯教育プログラムの一貫だったので、元々吟行ツアーではなかったんです。吟行はやはりグループで行っても作業自体は個人ペースでなければとても出来るものじゃないですね。吟行に限っては受動的な「見聞き」ではなく能動的な「見聞き」が必須といっていいでしょう。

  3. 苦心の過程をも句にしてしまうなんて立派だと思いますよ。

    お気持ちよく解ります。
    しっかり聞いていても後で思い出せない、メモをすれば追っつかない。
    挙句の果て資料を確認ということはしょっちゅうです。

    1. 法隆寺関係で何とか三つ作句しました。むりに作ろうとすればできないわけじゃないかと思いますが、それでは自分自身面白くないので。

      連休中京都へでも行こうかと計画しているので、その時はいくつか出来ればいいですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.