河岸変へてまた潜き初む獺祭
河岸変へて獺の祭の尽きるなし
「獺祭」とは七十二候のひとつで、雨水の初候を言う。
「獺(おそ)の祭」とは、この時期、獺が獲った魚を岸に並べるようにして食するという故事から派生した季語である。勿論、「猿酒」などと同様に遊びとしての季語なので、架空の話に尾ひれをつけて面白おかしく詠めばいいわけだが、これがなかなか難しい。
芭蕉に、前書き「膳所へ行く人へ」とあって、
獺の祭見て来よ瀬田のおく
という句がある。これなどは「かわうそ」と読ませるのだろう。
声を掛けられた人も、分かった上で「いいかもね」と答えたことだろう。
二十四節気はそのまま納得できるものが多いですが七十二候となると「これなんじゃいな」ってのもありますね。「獺祭」もその一つ。そもそも野生のカワウソなんているんでしょうか。河原の草むらでイタチは時々(年に数回)みかけますが。
ニホンカワウソは四国で見られたのを最後に絶滅したと聞きますね。系統的にはラッコに近いんだとか。
獲物を並べておく習性があるのかどうかは知りませんが、この魚を並べるを転化して、本を並べるという意味で、子規が自ら「獺祭書屋主人」と呼んだことは知られています。ですから、子規の命日をよく知られた「糸瓜忌」以外に、「獺祭忌」とも言いますね。
糸瓜忌はともかく、獺祭忌を詠むときは、「集める」とともに季節感をどう持ってくるかがポイントになりそうです。