軽便線

麦秋やあれに見ゆるが下ツ道
軽便線いまは県道麦の秋

盆地を北西から南東へ、王寺から桜井にかけて軽便鉄道が敷かれていた。大和鉄道と呼ばれるものだ。奈良県にはこのほかにも何本かあったが、残っているのは生駒山ケーブル、近鉄吉野線だけであとは廃線となっている。
大和鉄道はいま県道14号線として我が町から桜井、飛鳥へはもっとも短いルートとしてよく利用している。もとは電車軌道で基本的には直線だったからいくつもの国道を斜めに横切って渋滞も少なく走りやすいのである。
その横切る国道の一つにかつての下ツ道がある。というか桜井市あたりで合流していると言った方がいいか。その合流点は戒重と言い大津皇子の住まいがあった場所である。
私にとってはそれだけではるか昔のヒーローを思いおこすお気に入りのルートなのである。
中ツ道と下ツ道の間は今ではほとんど稲作だが、それでも往時の麦畑がまだ見ることができる。その麦畑の向こうに大神神社の大鳥居が見えるがそのあたりを下ツ道が走っていたのである。
参考)奈良の軽便鉄道

“軽便線” への2件の返信

  1. 軽便、懐かしい名前です。
    母からも聞いていたし故郷の近くでも走っていたらしい。
    奈良の軽便鉄道見ましたが明治時代にできたらしいですね。

    小津の「麦秋」を思い万葉の世界に思いを馳せています。

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