べつたりと黒く塗られて夏の山

夏ぼけしてしまったようである。

昨日の投稿が頭からすっぽり抜け落ちてしまっている。翌朝の今、パソコンを開いて気がついた。
ここのところ天気がいいせいか、むしろよすぎるのだが、三重県境にある高見山がよく見える。
もちろん雪はないので、あの険しい岩峰はべったりと塗られたように黒く一つの固まりのようでもある。ここからはちょうど兜のいただきのように尖って見え、周囲をぬきんでるようなシルエットはいつもより近くに見えるような気がする。
あの山はそばへ寄れば寄るだけ不気味な怖さを感じる山だが、こうして遠くに見る分にはあの先に伊勢があるのだと思うと妙に懐かしさも感じることがある。
我が故郷の海が恋しい。

“海” への2件の返信

  1. 伊勢の海から昇る陽を・・・と歌った小学生時代であるが自らは海には縁遠かった気がする。
    むしろ山の子、川の子と思っている。
    その昔「薄紫に聳え立つ矢頭の雄姿に気を高め緑を流す波瀬川に」と校歌にも歌われた川は見る影さえない。
    水は枯れ濁ってしまい緑どころではないが矢頭山は今も昔も変わらず永遠である、故郷への思いは尽きることがない。

    1. 伊勢にいたころ、学校にはプールがなくて毎年夏休み前にJR參宮線に乗って恒例の二見浦水泳大会がありました。二学期にかけて転校の多かった私は泳げなくて、初めての潮水が鼻についたのが懐かしい思い出です。その後熊野に転校しましたが、熊野灘は当然遊泳禁止で津に来てから再び伊勢湾・贄崎の潮水で遊んだものです。
      高校校歌にも「贄崎に来て沖を見る」という下りがあり、一中時代伊勢湾往復遠泳大会を詠み込んだ歌詞があります。折柄療養で三重にいた山口誓子の詩です。

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