トーナメント

タイブレーク走者活かせず夏終る

無死走者一塁二塁。

願ってもないチャンスだが、これが延長戦となると状況は違ってくる。先攻であればしっかりものにしないと、その裏に敵チームにも同じチャンスが与えられまずは点を取られるものと覚悟してかからなければならない。チャンスだがそういうプレッシャーとも戦わなければならない。
もともと延長戦は後攻チームの方が遊離だという見方がある。きちんと相手チームの得点を防ぐことができれば。それこそビッグチャンスである。
高校野球で延長戦タイブレーク方式が取り入れられたのは、酷暑のもとで延々と試合を続けると危険が高まってきたからというのが大きい要員だろう。
この大会もタイブレーク方式の延長戦がいくつも見られるだろう。負ければ明日はなく、三年生の夏は終わるのである。

風通し

徒長枝をぬいて狭庭の夏用意

今日は枝垂れ梅をすっきりさせた。

すると今まで徒長枝などで遮られて見えなかった実梅がごっそりと姿を現した。
この枝垂れは曽我梅林で苗を買い求めたもので、引っ越しとともに東京から移植したもでのある。毎年赤い花を楽しませてくれるが、あまり実がついたことはなかった。たまに着いてもいわゆる小梅程度で食用にすることなど思いもつかなかったのである。
ところが、今年のは直径2〜3センチもあって、数が揃えばシロップにもできるほどもある。ただ、いかんせん一キロにも満たない量なので、さあ、どうしたものかと思案している。
白梅の方も枝抜きをしてさっぱり夏化粧。
風通しもよくなって、なにより庭の一画が少し明るくなったようだ。梅のために窮屈な思いをしていた紫陽花たちがなにやら嬉しそうである。

べつたりと黒く塗られて夏の山

夏ぼけしてしまったようである。

昨日の投稿が頭からすっぽり抜け落ちてしまっている。翌朝の今、パソコンを開いて気がついた。
ここのところ天気がいいせいか、むしろよすぎるのだが、三重県境にある高見山がよく見える。
もちろん雪はないので、あの険しい岩峰はべったりと塗られたように黒く一つの固まりのようでもある。ここからはちょうど兜のいただきのように尖って見え、周囲をぬきんでるようなシルエットはいつもより近くに見えるような気がする。
あの山はそばへ寄れば寄るだけ不気味な怖さを感じる山だが、こうして遠くに見る分にはあの先に伊勢があるのだと思うと妙に懐かしさも感じることがある。
我が故郷の海が恋しい。

甲子園

サイレンの尾や少年の夏果つる

今年は100回記念とかでチーム数、試合数が多い。

まだ二回戦だがいくつものチームが消えた。
試合終了のサイレンの尾が引いて、負けた球児たちの夏が涙とともに終わるのはいつもの光景。
優勝するためにはいつもの年より多く勝たなければならないだろうが、猛暑のなかでの連戦が続けば疲労の度はますますつのる。これまでにも、何人もの選手が足をつったりする場面が見られた。
体調を整えながら勝ち進むのも、チームの実力のひとつ。暑さに負けないで最後まで悔いのない戦いを祈るのみだ。

平和の礎にて

慰霊碑に日傘たたみて沖縄忌
語り継ぐおじいおばあの夏あらた

宮古の女子高校生のおじい、おばあに非戦、不戦を誓う詩が素晴らしかった。

今日は慰霊の日。たまたま、その式典の模様をラジオで聞いていた。
彼女のあまりにも純粋で素直な言葉を聞いて、直後の政治家のスピーチは聞くまでもないとラジオのスウィッチを切った。

建前に振り回される

リクルートスーツ行き交ひ黒き夏

オワハラとか言うへんてこな言葉が喧伝されている。

表向きは今日の八月一日解禁のはずが実際には早くから内々定なるものが出されていて、学生を確保したい企業が別の企業を受けることを妨害するための言質をとろうとする行為である。
八月解禁というのは、学生の本分たる勉学に割く時間を確保するのが第一義であったのが、それがためにかえって学生を苦しめているという皮肉な結果を生んでいるわけだ。
どこよりも優秀な学生を確保しようとする企業の本音は時代が変わろうと不変で、就職協定というのは守られた試しがない申し合わせである。

こうして、建前に振り回された学生が酷暑の中を黒いスーツとネクタイに身を包んでビジネス街を行き交う始末となったのはなんとも気の毒である。