徒長枝をぬいて狭庭の夏用意
今日は枝垂れ梅をすっきりさせた。
すると今まで徒長枝などで遮られて見えなかった実梅がごっそりと姿を現した。
この枝垂れは曽我梅林で苗を買い求めたもので、引っ越しとともに東京から移植したもでのある。毎年赤い花を楽しませてくれるが、あまり実がついたことはなかった。たまに着いてもいわゆる小梅程度で食用にすることなど思いもつかなかったのである。
ところが、今年のは直径2〜3センチもあって、数が揃えばシロップにもできるほどもある。ただ、いかんせん一キロにも満たない量なので、さあ、どうしたものかと思案している。
白梅の方も枝抜きをしてさっぱり夏化粧。
風通しもよくなって、なにより庭の一画が少し明るくなったようだ。梅のために窮屈な思いをしていた紫陽花たちがなにやら嬉しそうである。
徒長枝?調べたら忌み枝とあり無駄な枝。徒はなるほどいたずらね。
昔、母が小梅を梅干しにしていましたが「しなのうめ」と呼んでいたような気がします。あれはしだれ梅の事だったのかな?
実梅が今年は豊富ですね。庭も明るくなりすっきりですね。
我が家のモッコウバラも無駄な枝が垂れさがり重苦しい。
そういえば先日ヤマモモの実がびっしりついているのを公園で見つけ一個赤らんでいるのを口にしたらとても甘くてびっくり。
今年は桑の実をジャムにしておいしかったのでヤマモモのジャムもいいな~と思いながら公園を後にした。
ヤマモモ、懐かしいですね。あのじゃりじゃり感が甦ってきます。佐紀古墳群を歩いてますと、仁徳天皇の后であった磐之媛命陵のあたりでやまももの大樹があり、時期になると園下が真っ赤に染まるほどです。畏れ多いということか、だれも採ろうという人がいないようです。
徒長枝をぬいて狭庭の夏用意
徒長枝って何かなぁ?と検索すると、”忌み枝”の事なんですね。
(忌み枝って関西弁かなぁ?)関西弁には、現在では差別用語として使われなくなったものが結構残っています。「めくら、つんぼ、おし、かたわ」etc、「忌み」もその仲間(?)ですかね。
「忌み」自体は差別語とは違うように思いますが。
昔の小説、映画などには、多く残されていますが、その言葉を使っていた子供にとっては差別する意識はなかったと思うんですが。