夏蜜柑ときに妥協の甘さかな
最近の柑橘類は甘い。
とくに感じるのが、八朔、夏蜜柑の類いである。
両者とも酸っぱさからは免れなかったのが特徴で、子供の頃はあまり好きではなくそれが大人になっても手を出しそびれる要因にもなっていた。
ところが、ここ何年か知人の手になる八朔、夏蜜柑をいただいて、それまでの固定観念ががらりと打ち破られたのである。
上品な酸っぱさは残したままでいて、甘くてうまさがあり食べやすい。
とくに夏蜜柑などはただ酸っぱさが舌を刺激していたのが嘘のように、まるまる一個をぺろりといただけるほどうまい。これは、きっと海外のオレンジや国内のさまざまな甘い柑橘に負けまいと、関係者が長年品種改良に取り組んできた成果ではないかと思うのだがどうだろうか。夏蜜柑は酸っぱいものだと突っ張ってばかりいては生き残れないと、自ら折れたのかもしれない。
午後のデザートに、ソフトボールほどの大きさの夏蜜柑を一個ずついただく毎日である。
柑橘類の品種の多さは目をみはるばかりである。
昔の夏ミカンと言えば大きいだけで酸っぱい果肉に砂糖を乗せるかまぶすかしないと食べられたものではなかった。
どこの家も収穫しないまま成りっぱなしが放置されていた。
やがて根元に落ちた実が肥料になったのかどうかはよくわからない。
日本の柑橘類は世界最高だと思います。
冬の路地ミカン、今毎日食べている清見オレンジ最高の甘さと水分は最高。
これから夏に向かいだんだん柑橘が少なくなるので寂しい。
ハウスみかんを毎日食べるのはちょっと無理。
これからしばらく柑橘類は端境期。つぎは秋の青蜜柑が楽しみです。瀬戸内の檸檬もね。これはかじりついてもうまい。
夏蜜柑ときに妥協の甘
果物に限らず、確かに、最近の食べ物は甘くなりましたね。海外出張が多かった80~90年代、中国や東南アジアに行くと、美味しいと評判のレストランに行くと、その料理の甘い事!甘い味が贅沢の象徴だった時代のことです。でも、昨今の甘さ志向の底流は何なんでしょうかね? ほたかさんの「妥協の甘」と言う締めが、実に暗示的です。
「妥協」は「迎合」の意も含んでいるのかもしれません。
本来もつ性質をも「改良」という名で改変してしまう、とどのつまりがいつかとんでみないものを口にいれてしまうことになりかねない恐ろしさを感じます。
野菜もできるだけ在来の味を楽しみたくて、固有種の種から育てています。野性味あふれる、ちょっと暴れる味の胡瓜とかトマト、食べてみたいと思いませんか。