投稿日: 2013年6月5日2013年6月6日 カテゴリ:まほろば句会、夏 季語:萩若葉浮図田 石仏に影さしかけて萩若葉 浮図田(ふとでん)なる石仏群や萩若葉 本堂の左手に向かって回ってゆくと、浮図(浮図とは石塔・石仏のこと)田とよばれる石仏群が境内の奥のほうにまで連なってあり、初秋には桔梗、萩、そして彼岸花に彩られるという。そして、この浮図田のある位置からは本堂や禅堂の行基葺きといわれる瓦屋根がよく見える。大きな木の陰に立つと心地よい風も感じることができるので、さまざまな時代の瓦を眺めながら思いははるか飛鳥の時代を逍遥するのだった。 共有:シェアTweet 関連
石仏の事、浮図田というのですか?初めて聞く言葉です。 なるほど萩に埋もれているように見えます。 そして行基瓦アップしてみました、これは中国瓦に似ていますね この瓦の形状、好きです。 白浜のホテル「川久」の瓦に似ています。 今週から正平さんの自転車旅、三重県に入り今日は津市の香良洲町でした。 生憎の雨で白砂青松が台無しでした。 飯高の波瀬も明日あたりかな? 予告を見た友人が電話してきました、お手紙だした?ですって。 一志町の波瀬と間違えたらしい、心のふるさと「矢頭山の大杉」応募すればよかった・・・ 返信
飛鳥寺の瓦製造にあたって百済から瓦博士を遣わされていますからね。行基葺きというのはまさに大陸の影響が直接にあったのでしょう。 月曜の放送で波瀬とあったので、もしやと思いましたが明日は員弁のほうらしく三重県はそれでお終いのようです。今日の放送も雨で御在所が見通せなかったのは残念でした。 三重一回目の丸山千枚田は、熊野の山奥、両親の田舎に行くとき新宮から風伝峠越えの一日三便のバスの途中にあり、ニュースになるたびにいつも懐かしく思い出しています。谷全体が大きく湾曲しているので全体の見通しがよく、放送でも出てくる大石はここのシンボルといってよいかもしれません。道路が舗装されて砂埃こそ立たないようになったと思いますが、全体の雰囲気は大きくは変わっていないようです。 返信
どうして石仏のことを「浮図田」というのでしょうか? もとは仏教の言葉でしょうか? 初めて見聞きする言葉で不思議な気がします。 ここに初秋、行ってみたいですね。 萩、桔梗、彼岸花が咲き乱れる中、浮かんでいるように見える石仏群、う~ん、いいですね! 返信
元興寺ホームページによれば、「浮図田とは、石塔・石仏(浮図)類を田圃のごとく並べた中世の供養形態を示しています。」とのことです。8月下旬の地蔵会では灯明が献じられて幻想的な光景がみられるのでしょうね。 桔梗は秋というより晩夏に近く、萩、彼岸花の順に咲いてゆくんでしょう。 返信
飛鳥では「法興寺」として起こされ、移転したあとも飛鳥寺として残っていますが、名前の通り仏法を興す寺として、仏法を隆盛にする「法隆寺」とは対をなすもののようです。飛鳥の仏教帰依を引き継ぐ正当な寺院で、同じく斑鳩の「法起寺」や「法輪寺」なども仏法への深い帰依を表すものではないでしょうか。その後、官営の東大寺が建立されるにつれ蘇我一族とは距離をおくようにして、その後は有力な支援者がつかなかったのかもしれません。勝手な推測ですが。 返信
石仏の事、浮図田というのですか?初めて聞く言葉です。
なるほど萩に埋もれているように見えます。
そして行基瓦アップしてみました、これは中国瓦に似ていますね
この瓦の形状、好きです。
白浜のホテル「川久」の瓦に似ています。
今週から正平さんの自転車旅、三重県に入り今日は津市の香良洲町でした。
生憎の雨で白砂青松が台無しでした。
飯高の波瀬も明日あたりかな?
予告を見た友人が電話してきました、お手紙だした?ですって。
一志町の波瀬と間違えたらしい、心のふるさと「矢頭山の大杉」応募すればよかった・・・
飛鳥寺の瓦製造にあたって百済から瓦博士を遣わされていますからね。行基葺きというのはまさに大陸の影響が直接にあったのでしょう。
月曜の放送で波瀬とあったので、もしやと思いましたが明日は員弁のほうらしく三重県はそれでお終いのようです。今日の放送も雨で御在所が見通せなかったのは残念でした。
三重一回目の丸山千枚田は、熊野の山奥、両親の田舎に行くとき新宮から風伝峠越えの一日三便のバスの途中にあり、ニュースになるたびにいつも懐かしく思い出しています。谷全体が大きく湾曲しているので全体の見通しがよく、放送でも出てくる大石はここのシンボルといってよいかもしれません。道路が舗装されて砂埃こそ立たないようになったと思いますが、全体の雰囲気は大きくは変わっていないようです。
どうして石仏のことを「浮図田」というのでしょうか? もとは仏教の言葉でしょうか?
初めて見聞きする言葉で不思議な気がします。
ここに初秋、行ってみたいですね。
萩、桔梗、彼岸花が咲き乱れる中、浮かんでいるように見える石仏群、う~ん、いいですね!
元興寺ホームページによれば、「浮図田とは、石塔・石仏(浮図)類を田圃のごとく並べた中世の供養形態を示しています。」とのことです。8月下旬の地蔵会では灯明が献じられて幻想的な光景がみられるのでしょうね。
桔梗は秋というより晩夏に近く、萩、彼岸花の順に咲いてゆくんでしょう。
浮図田、初めて知りました。このように石仏が散在しているのも元興寺特有のものなんでしょうか。飛鳥と奈良を繋ぐお寺ということですね。
飛鳥では「法興寺」として起こされ、移転したあとも飛鳥寺として残っていますが、名前の通り仏法を興す寺として、仏法を隆盛にする「法隆寺」とは対をなすもののようです。飛鳥の仏教帰依を引き継ぐ正当な寺院で、同じく斑鳩の「法起寺」や「法輪寺」なども仏法への深い帰依を表すものではないでしょうか。その後、官営の東大寺が建立されるにつれ蘇我一族とは距離をおくようにして、その後は有力な支援者がつかなかったのかもしれません。勝手な推測ですが。