戒律道場の威厳

大修理終へし伽藍や風薫る

まさに堂々たる金堂である。

エンタシスの柱は接ぎ跡だらけだが、少しも古さを感じさせず、どっしりとした安定感は少しも損なわれることはない。
大修理というと、新しい姫路城が真っ白にお化粧直しされたように、ときに部材の新しさが目立ったりするものだが、ここ唐招提寺ではあたかも1,300年前のものがそのまま古びてそこにあるという印象だ。
まことに戒律道場に相応しい佇まいは大変好ましく思える。

“戒律道場の威厳” への4件の返信

  1. 唐招提寺の雰囲気はなかなかいいですね。
    古都のお寺にふさわしい情景ですね。
    昨日(7日)は関東地方は1日雨で、時々強く降るなど、梅雨らしい1日でした。
    そんな中、元の勤め先の会社のOB会があり、今年から65才以上の資格ができて、招待状が届いたので出席してみました。
    久しぶりに会う人も多く、話してばかりで、食べる方はおろそかになり、参加会費の回収は追いつかなかったようです。
    毎年この時期に開催されていますが、いつまでも昔話や懐古談等だけでは退屈だなと感じました。
    人のつながりも、現在あるいはこれからの人生に生きる方が前向きで大切にしたいね。

    1. 関東地方は随分降ったようですね。梅雨期の6,7月の2か月分だというから想像もできません。増水すると川で生まれた新しい命が風前の灯火。雛たちは大丈夫かなと心配してしまいます。

      OB会、ねえ。確かに過去の話ばかりでは面白くないですよね。貴君が地元活動や合唱団、別荘ライフで忙しく毎日を送られているので、とくにそのように感じられるのでしょう。
      僕もこちらに越してきた背景もありますが、会社や大学の部活以外での一般的なOB会というものにはまったく興味はありません。カネや時間の無駄という感じすら抱いてしまいます。義理の慶弔(特に弔)のおつきあいが減ったことは大正解でした。
      年賀状の類いもそろそろ大なたを振るう時期に来ているかもしれませんね。

      1. そうそう、年賀状は同感です。
        会社を引退した時に、翌年の年賀状の差出先の見直しをして減らしましたが、相手からハガキが来るなどして、なかなか思うように減らしきれないですね。
        かなり思い切らないと減らないね。
        極端なことを言えば、訃報に接したときにお葬式に行くかどうかくらいの判断で良いのかもね。
        これも断捨離ですね。

        1. 弔意を表する必要があるひとだけ、あるいは自分が死んだら相手に知らせて欲しい、というのは一つの基準になりそうです。
          去年でしたか、facebookに息子さんが代わりにログインされて、お亡くなりになられたことを知ったケースもありました。
          最近は家族葬がふえてきて、あとでご家族から訃報をいただくこともあります。最低限、年賀状のやりとりしている人には同様な配慮は必要なわけで、そろそろ真剣に考えるべき時にきたかと思います。

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