卯の花の垣を魔除けの村はずれ
多武峰山腹の集落である。
このあたりは勧請縄と言って、悪霊、疫病が侵入しないように村の出入り口に縄を張る風習が残っている集落が見られる。集落の中には、ちょうどこの時期、村に入る手前が卯の花の垣根が盛りとなるところがある。そのまま下っていくとやがて勧請縄が張られていて、垣根はその露払いみたいなものだ。
卯の花は初夏の花。今日は午後から雨模様。梅雨にはまだ遠いが、前触れの雨かもしれない。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
卯の花の垣を魔除けの村はずれ
多武峰山腹の集落である。
このあたりは勧請縄と言って、悪霊、疫病が侵入しないように村の出入り口に縄を張る風習が残っている集落が見られる。集落の中には、ちょうどこの時期、村に入る手前が卯の花の垣根が盛りとなるところがある。そのまま下っていくとやがて勧請縄が張られていて、垣根はその露払いみたいなものだ。
卯の花は初夏の花。今日は午後から雨模様。梅雨にはまだ遠いが、前触れの雨かもしれない。
近江路を歩いた時に勧請縄が張られた集落がありました。
さらに奥琵琶湖の菅浦という集落では茅葺きの四足門がありここで村の出入りのチェックが厳しく行われていたそうです。
その上の方には土足厳禁の神社があり靴を脱いで坂道を上ったような記憶があります。
日本にはまだまだ珍しい集落が多くあるようです。
近畿以西に見られて、東の方はあまり聞かないですね。
自分たちの神を宮座という輪番の当番で祀ったりすることも多く、集落の自立・仲間意識、自衛意識、といったものが歴史的に残されてきたものなんでしょうか。
対して東では「講」など集落を超えた組織や行動などがあるように思いますが、そんなところはどうなんでしょうね。
勧請縄、まさしく「縄張り」。そういう意識なんでしょうね。
飛鳥に立って多武峰に圧倒されました。迫り来るような、しっかりと守ってくれているような存在感。土地の人にはかけがえのない後ろ盾だったのでしょう。
万葉文化館の近くに鎌足をまつった大原神社があり、ここが生誕地だとされてます。そこから東にどんどん登って行くと談山神社。談山神社(かつては神仏習合の寺院もあってたいそうな規模だったようです)を背負う山としても崇められていたんでしょうね。