古代に触れる

青鷺の森となりける御陵かな

全長220メートルを超える堂々とした御陵である。

第11代垂仁天皇陵は、外壕の中に田道間守の墓とされる小島があることが特徴だ。
水をいっぱいに湛えた壕には餌が多いらしく、カイツブリや川鵜が次々に水もぐったりしている。また、墳丘に繁った木は青鷺のコロニーになっているようで、何羽かが木の上にまるで飾り付けのようにじっとたたずんでいるのが見える。

この垂仁天皇というのは、皇后の亡くなったとき殉死をやめさせ代わりに埴輪を作らせたり、皇女の倭姫に天照大神の祭祀を命じたりしたとされるが、さらに相撲の発祥になったと伝えられる野見宿禰と当麻蹴速の闘いもこの天皇の前で行われている。
宮内庁による陵の名は「菅原伏見東陵」ということから分かるとおり、ここら一帯は後世に土師氏の支流・菅原氏の本貫地となっており、あの道真も当地で生まれたとされている。

ちょっと足を伸ばしただけで、古代に触れられるのも奈良らしくていい。

“古代に触れる” への2件の返信

  1. 小さな貸農園の草にさえ辟易している身には、220メートルの墳墓の管理はいったいどのようにするんだろうかと心配してしまいます。

    ことは天皇の墳墓であり、一市民の感覚ではとらえきれないのも当然。要するに丘陵、小山ですよね。まさに権力の象徴ですよね。高野山を訪ねますと戦国大名の墓があります。これとて相当な大きさですが、古代の墳墓にはかないません。時代とともに墓は小さくなり、いずれ持ち運びできるようになり、究極は消えてしまうものなのでしょうか。

    1. 宮内庁管理の陵とか文部省管轄の古墳などは定期的な手入れがされてるんでしょうね。ようするに、国、自治体いずれかに史跡として認められれば人の手は入るのでしょうね。

      マンション形式の墓もあるし、最近では墓を持たない、墓に入りたくないという人も増えてますね。
      一つには少子化で墓のお守りの負担を考えてのことがあるでしょう。現に、我が家は分家筋で親の墓は作りましたが、孫世代がいないので、自分たちは散骨でもしてもらおうとか話し合ってます。
      さて、何処がいいか。遺言にでも残しますかね。

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