ゑのころの悲哀

ダンプカー積み荷にのぞくゑのころ草
ゑのころの尾をこぼしゆくダンプカー

近所の田んぼをつぶして道路を造るそうな。

何でも、昔からある在の道路が狭くてまさかのときに救急車や消防車が通れないから、新しくアプローチする道路だそうだ。
開発の場所は団地に接したエリアになるので、ここんところダンプがひっきりなしに土砂をどこかへ運んでは戻ってくる。
元田んぼと言っても、ここ数年は貸し農地となっていたところも多く、去年から貸し農地も休業となっていたので、今では雑草まみれの原っぱである。
信貴山のほうへ向かってゆくから、大阪との県境の山中にでも廃棄するのだろうと思われるが、土砂を目一杯摘んだダンプカーがうんうん言いながら坂を登ってゆく。荷台の乾いた土には、草の根っこなどものぞいていて、カーブで発進するときなどに土とともに一緒にパラパラこぼしもしたりして。
最近は、登校も下校も集団だから、道端の猫じゃらしもなかなか遊んでもらえる機会が少ない。
まして、今年の旱天で成長もよくなくて、なかなか見事な尻尾にまでは育たないようで、ちょっと可哀想でもある。

秋野となって

放棄田の一枚ざわとゑのこ草

遠くから見るとまるで稲穂の波のようだが。

みごとに捨田の一枚がまるまる狗尾草に埋まっている。
尻尾はめいめいまちまちの方向に向いていて、草の根元ではさかんに虫が鳴いている。
ところどころには、去年の籾がこぼれたのだろうか、みすぼらしい稲も混じっているが、もう田とは言えず虫の原と言ってもいいかもしれない。これも秋野の一つと言えば格好良すぎるか。

たがて収穫が終わると発掘が始まり、来春にはまた昔のように田に戻る飛鳥の田のなかにはこのような一画もある。もしかすると、この冬の発掘対象になってるのかもしれないが。

ペットの運動不足時代

揺れてみて誘ひもしてみせゑのこ草

別名、猫じゃらしである。

当節、猫グッズの店では、ネズミに似せたものなどいかにも猫の気を引きそうなものが並んでいる。猫や犬というものは外で飼うものだという時代には、猫じゃらしのおもちゃで遊ぶのは子猫というのが通り相場で、成猫なんか見向きもしなかったものだ。
考えてみれば、猫じゃらしのような子供だましなどよりもはるかにエキサイティングな獲物が周りにいっぱいいた時代だったのだ。天井やドブを走り回るネズミ、田んぼや畦道のカエルや蛇。

ペットにとっても飽食時代の今は、老猫だって玩具に夢中になる。これで遊ばせるのも運動不足の解消というわけだ。