剝落隠しようなく

バス降りて一ㇳ日の旅の鰯雲
瓶口に牧のミルクの爽やかや
変哲のなきコスモスの寺なりし
コスモスの花の名借りて露の寺

今日のまほろば吟行はコスモス寺の般若寺へ。

平城京の鬼門を守る寺で、例の重衡の南都焼き打ちにあったことでも知られ、鎌倉時代の再建を経て今日に至るが、さしもの古刹もいくばくかの剝落は隠しようがないようである。
それを補うべくと言うことであろうが、境内にコスモスを育てて参拝客を呼ぼうということだが、寺のあちこちのほころびに心なしかあはれを催す。
気分転換は寺の裏、というか寧楽坂の街中にある小さな牧場を見学して味の濃い牛乳をいただいたこと。

スローライフ

隠遁の畑はコスモス半ばして

隠遁というのにはちょっとオーバーかもしれない。

現役引退ということだろうか。
子供も巣立って二人だけの畑では多くを作る必要もないし、何より体力的に多くを作ることもかなわなくなる。だからであろう、畑の大部分は作物ではなく花なのである。
花に囲まれて、必要なものだけを必要な量だけつくる。まさにスローライフ。

畑に入ってから夕暮れまでの時間を過ごしている農婦の姿を見かける。
ときどき、屑などを焼く畑仕舞いの煙が家の方に向かってくるのには閉口するが。

新興住宅地の周囲は昔通りの時間が流れているのである。

撮ってしまう

コスモスを写し留めたき日和かな

リハビリ2日目は矢田の民博公園まで。
法起寺三重の塔とコスモス
途中、法隆寺、法輪寺、法起寺に立ち寄りながらのんびりしたポタリングだが、今日は土曜日ということもあって各所でいろんなイベントが行われていた。運動会、ウオークラリー、などなど。法起寺ではおきまりの撮影ポイント、写生ポイントにはコスモスがいっぱい咲いている。地元の協力をえて休耕田を利用したものらしい。印刷するとか、画像をどう使うかはまったく念頭になくても、人はこういう場では必ずと言ってよいほど携帯などで写真をとるものらしい。
散歩に来た人、観光の人、みんなカメラを構えている。自分もその仲間にはいって何ショットかを。