負担

車検受く代車の屋根の露しとど

高気圧がおおう日が続く。

目立って朝露がしっかり降りるようになった。
愛車を車検に出して代車に軽自動車を出してもらったが、屋根もボンネットもフロントウィンドウも露しとどの朝である。
露を払おうにもなれないスウィッチの位置などにとまどうことがある。
車検は一日で終わったが、請求書をみてその高さには毎度ためいきがでてしまう。どこへ行くにも車が必須なので、運転できるうちは出放すことなどできない。年金生活者にとっては車検や保険や税金の負担など、あらためて日本の車の維持費に泣かされているようにしか思えない。

劇的な変化

朝露の自領律儀に巡る猫

急に秋がやってきて一番驚いたのが朝の露である。

あれほど暑さにうだっていたのが、一夜で庭に露がびっしり降りているのを見ると季節の劇的な変化に驚かされるのである。
飼い猫のみぃーちゃんは、露を避けるでもなく草を踏んでテリトリーの検分にいとまがない。
しかし、あれほど密に敷いていた露も日が昇るといつの間にか消えていて、古人はかなさの代名詞として歌に詠み込んできたのである。俳句もむろん露は代表的な季題として数々の名句が生まれている。

露の世は露の世ながらさりながら 一茶

は彼の境遇ともあわせ広く知られた句であるが、俳句としての完成形からいえば、

金剛の露ひとつぶや石の上 茅舎

は一級の写生句として、物覚えの悪い自分でもすぐに口をついて出てくるほどである。

剝落隠しようなく

バス降りて一ㇳ日の旅の鰯雲
瓶口に牧のミルクの爽やかや
変哲のなきコスモスの寺なりし
コスモスの花の名借りて露の寺

今日のまほろば吟行はコスモス寺の般若寺へ。

平城京の鬼門を守る寺で、例の重衡の南都焼き打ちにあったことでも知られ、鎌倉時代の再建を経て今日に至るが、さしもの古刹もいくばくかの剝落は隠しようがないようである。
それを補うべくと言うことであろうが、境内にコスモスを育てて参拝客を呼ぼうということだが、寺のあちこちのほころびに心なしかあはれを催す。
気分転換は寺の裏、というか寧楽坂の街中にある小さな牧場を見学して味の濃い牛乳をいただいたこと。

古色蒼然の四阿

四阿の檜皮しとどに露宿す

吉城園には要所要所に四阿が設けられている。

特に、離れ茶室の四阿は本格的なもので、檜皮を葺いた屋根には苔が生え、杉や竹の枯葉なども散っているという、いかにも古色を漂わせた佇まい。
苔には朝露がびっしりついて、いまにも雫となって落ちてきそうであるところを詠んでみた。
五票いただいので割合受けた句だったが、主宰の選は後日となるので、さてどうなるか。

自分ではいけるんじゃないかと思った句が外れたり、逆にこんなのがというのが特選になったりで、がっかりさせられたり、喜んだりだり、毎回楽しみでもあるが。

秋日和

露けしや頭部欠けたる白鳳仏
盗難の模造仏の秋思かな

久しぶりにいい天気。

秋空のもと、白鳳時代の仏さんを中心とした「白鳳展」に行ってきた。
人皆考えることは同じで、混雑するんではないかと思っていたら意外に空いている。
おかげで一点一点じっくり見学できたのには助かった。
もっとも印象的だったのは、法隆寺の夢違観音がごく間近にみられたこと。まさかこんな貴重な宝を、手を伸ばせば届くような距離に無防備に展示しているとは。ほかにも有名な仏像が数多く出展されていて、どれもがその息づかいが感じられるほど近い。

仏教伝来以来100年、一斉に花開いた白鳳文化の粋を集めたこの展示は文句なしに素晴らしい。

想像と創造と

お百度を踏むも巡るも今日の露

朝起きて初露かと思ったが、雨の跡だった。

ただ、そろそろ露が降りてもおかしくない時期だ。折からの長期予報では、来月上旬は気温も低いらしい。秋雨前線が居座っているあいだは露は見られないだろうが、そのうち一面の露景色に驚く朝もあろう。

露というのは歌にしても句にしても、題材として古今より数多く詠まれてきたものであり、想像もかきたてられるものがある。掲句にしても、もとより信心こころの薄い自分でも一応形にはして見せられるだろう。
ただ、それが詩心あふれ文学性が高いかどうかは全く別物ではある。

この秋は、何度か「露」にチャレンジしてみようと思う。

夜露

ワイパーのひと掃きにして露散りぬ

ここ数日続けて少しの時間戸外にいるだけで冷たく湿ったような夜気を浴びている。
朝の新聞受けも心なしか露に濡れているようだ。
クルマの屋根やウィンドウに降りた露は1,2時間ほどで消えてしまうのだが乾いた跡が醜く残るので、ほんのひと掃きだけワイパーを作動させてみた。ゴムに押しやられた露は重そうに一気に流れ落ちていった。