避暑

サンダルが灼けて飛び込むプールかな

まるでお湯のようだと。

町内プールから帰ってきた親子が言う。
さもあろう。家の水道でさえ西日の影響を受けた午後などはお湯が出てくる。風呂が短時間で沸くというのはまことに省エネに適ったエコな話しだが、温水プールより熱いプールなんてますます体がヒートアップするばかりで、涼を求めるにはほど遠い。
おまけにプールサイドを跣足で歩くのは危険極まりない。日中の我が家の二階のバルコニーだって、うっかり跣足で出ようものなら十秒もいられないくらい熱いのである。それ以上いたらやけどは間違いない。
プールが涼しくなければ、水浴びと言えばもう川くらいしか行くところがないが、これはこれで大変危険なこととて、さて困ったものである。
どこか高度の高いところに避暑するしかないのであろうか。

アナグマ

真白にぞプール日和の雲立てり

この三連休は家族でのプール行には最高の天気だった。

この熱波と言っていい天気では、外で遊ばすにはあまりに危険が多すぎる。かと言って、あちこち連れ歩くのもまた危険。
となると、手短かに近くのプールがいいとなる。
連休中近所でも小さいお子さんがいる家庭では、町営プールに出かける姿を見かけた。
ただ、油断すると紫外線によってダメージがあり、しかもその紫外線が昔の比ではないほど強いので用心にこしたことはない。
プール遊びは半日でも十分疲れるものだから、午前中の比較的紫外線が弱い時間にすませ、午後からは午睡で体力回復。
プール遊びで家族サービスするお父さんも大変だがそれも今のうち。やがて子供たちは友だち同士、自分たちだけで遊ぶようになる。
暑い夏はこれからが本番。せいぜい一緒に遊んでやることだ。
歳とって日焼けするのはガンになりやすくなって危険という。昼間はアナグマのように家にいるのがよさそうだ。

幟さびしく

長雨に馴染むプールの閑散と

町営プールが閑散としている。

夏休みに入って最初の週末も台風がわざわいし、プールサイドのこなもんの幟幡も心なしか重たげである。いつもなら、爺婆が孫を連れて賑わうのだが、梅雨が長かったせいか今年は出足がもうひとつみたい。

日焼の子

半年の垢掻いだしてプール干す

梅雨入りを前に町営プールが磨かれた。

すでに一か月近く干してあったのは日光による消毒か。
ひび割れを防ぐ目的だったと思うが、昨年の九月から満水状態だったのを来月上旬に向けてプール干ししたのだ。
小さな町のプールだから子供対象のプールだが、いよいよ暑くなるとそばを通るたび水浴びしたくなる。
プールには日焼けした親子がよく似合う。

極意

片耳の水鳴るプール帰りかな

頭傾けてけんけんと跳んだり、熱い石を耳に当てたり。

だが、めったに水は抜けてくれなかった。
ときには床に横になるときまでごろごろ感がつきまとって、非常に不快である。
ところがあるとき、裏技をさずかって試したところ、百発百中水がころっと抜けたのだ。
極意は、蛇口に頭傾けて、つまった耳に水道水を掛け流すのだ。
理屈はよく分からないが、すぐになま温かい水がどろっと出てくれてその爽快感といったら。
騙されたと思って一度お試しあれ。

一足早い秋

山村の岩を堰とすプールかな
寒村の水場に遊ぶ子のなくて

吉野川源流・高見川のあたりに吟行した。

このあたりは東吉野村といって、かなり前から俳人・俳徒にとって聖地ともされる村である。村内のかしこに著名な俳人の句碑が建ち、多くの俳人が訪れる。そのなかでも、「天好園」という山の宿を知らぬものはもぐりだと言われるくらい有名な館で、ここで句会もよく開かれている。
属する結社でも昨年5月余花の頃にここで吟行句会が開かれ、ことしは万緑、というより晩夏の時期に訪れることになった。

山の奥で、清流は流れているし、蝉や虫の声、いろいろな草木もあるので四季折々に句材には尽きないものがありそうだ。

青芒活けて迎へる山の宿
青芒深山の客を迎へけり

かなり奥になるので大和盆地に比べ随分涼しい。昼頃には天気もずんずんよくなって青空が広がり流れる雲も高い。ここには一足早く秋がきているようだ。

町立プール

更衣室かけこむプール俄雨

さきほどまであれほどカンカン照りだったのに黒い雲とともに雷が鳴り出した。

夏休みに入って町営プールは連日大盛況で、駅まで行くときに通りがかったときも駐車場は満車状態で、道路から一段低いところにある大小のプールもよく見える。いかにも気持ちよさそうでうらやましく眺めていた。
ところが1時間ほどして帰りに通りかかると、あれだけ賑わっていた人々はほとんど引いた後でまばらな人影しかみえない。どうやら先ほどの突然の雷雨でみんなプールから上がってしまったようだ。さぞや更衣室は混んでいるだろう。