フロービー

蓬頭の一老にして冬籠

散髪は自分ですると俳優ジョージクルーニーが評判になっている。

そのシンプルな商品も紹介されているので早速ググってみると、ネット会ではすでにその商品がバズっているようで、ネットの威力は大きい。
以前から散髪は自分でしたいと思っていたが、果たしてうまくできるかそれが問題だし、そのうえ切った髪の始末など考えると腰が上がらなかったというところだが、この商品ならもしかしたらできるかなと思えるYoutube動画もあって、俄然やる気がでてきた。
このコロナ禍で床屋に行くのが恐い。
案の定、品不足のようで価格も跳ね上がりそうないやな予感である。

過去の話

冬籠というてもインターネット

急に寒くなってきた。

風も強くなってきて外出がおっくうになる。
今日は終日引きこもり爺だ。
テレビや電話もあればネットもある。
昔の豪雪地帯だって今では車も通う。
自らの意志に反した不可抗力の冬籠もりというのはもう過去の話だろう。

鋭敏

冬籠耳は外界向いてゐて
冬籠研ぎ澄まされし両の耳

雪とか何かよんどころない事情あって一部屋に籠もっている。

まわりには読みたい本を積み上げて、まるで書物に埋もれたような毎日である。
それでも外からの情報は恋しく、新聞、テレビのニュースは欠かせないし、書を読んでいても新聞や郵便配達の音には敏感になっている。

年賀状書き

住所録整理してゐて冬籠

寒い日が続いたと思ったら今日は雨だ。

一日中ただ部屋に籠もっていても仕方がないので、なかなか腰があがらなかった年賀状書きをすることにした。「書き」というより「印刷」と言った方がいいかもしれない。
パソコンを新しく買い換えたら古い宛名書きソフトがインストールできなくて回り道させられたが、住所録は何とか最新のものに更新完了。今年は同級生を二人も失い、今年届いた彼らの年賀状を読み返すのが無性に悲しい。
こうして、一人、二人欠けていって何時かは自分の番になるのだろう。それは明日かも知れないし、あるいはもう少し生かされるかも知れない。いずれにしろ毎日に緩びのないよう、無駄に生きないようにしたいものだ。今年もあと10日あまり。明日から2回に分け今年を振り返って、「今年の句」を取り上げてみよう。