恐竜の末裔

寒禽の小舎脱け出して雪せせる

鶏というのは残酷な生きものである。

群で飼うと必ずいじめに遭う奴がいる。いじめというのは集団リンチみたいなもので、誰彼となく嘴でつついて羽根を傷つける。最悪はその毛をむしり取るので、季節外れの羽抜け鳥となることもある。
そんないじめられっ子が鶏舎から出て徘徊したりするが、それでも遠くに行くようなことはない。しばらくしたらまた小屋に戻るのである。
いじめが、ひどいときには死に至らしめることもあり、つくづくとくしがたい生きものである。そう言えば目にズームアップすれば、恐竜のそれと同じでじつに冷たいものを見るのである。

生きる証

寒禽の車に落とす白いもの

駐車中の車のなぜか同じ場所ばかりやられる。

烏なのかヒヨドリなのか。
とにかくちっちゃな鳥ではなさそうな量である。
燐を含むというからボディの塗装膜を痛めるというから見つければ洗い流すしかないが、ここでも洗っても洗っても落としてゆくものとのいたちごっこである。
餌の少ない冬を越せるかどうかは鳥たちにとってはむろん死活問題であるが、落とし続けることが生きる証となる。

月冴える

寒禽の鋭声や月の利き刃

ヒヨドリの甲高い声が響き渡る。

中天を眺めれば、匕首のように鋭い月が青い空に凄惨な白さで浮かんでいる。
これは数日前の光景だ。今日の月は半月。冬の冴え冴えとした月が見下ろしている。

ジョー君と遊ぶ

みほとりに寒禽飽かず遊ぶ日よ

高気圧が真上にあるらしい。

風もなく気温がぐんぐん上がってきた。
そろそろ寒肥の時期ということで、落葉樹の枝を落としたり、土を起こしたり。
するとどうだ。あのジョウビタキがすぐ後ろにいるではないか。


(iPhoneからの画像転送は回転されたままとかなかなか厄介ですが、プラグインios-images-fixerでようやく解決)

土を起こした跡をしきりにつついている。落ち葉などを掃除した跡も丁寧に虫を漁っているようだ。
二時間ばかり作業していたが、その間ずっとそばで食事に夢中のようだった。最初のうちは折角の食事を邪魔してはいけないと傍観していたが、試しに作業を再開してもいっこうに逃げない。一番近いときは1メートルくらいまで寄ってきた。

大胆なジョー君のおかげで作業は楽しく終わったうえに、さらに嬉しいことに白梅が3,4輪開花した。
ここのところ、芽がはっきりしてきたなと思っていたが、今日の陽気でいっぺんに開花したようだ。

渡り者の習性

寒禽の早瀬を行きつ戻りかな

ピィーと鳴く声がするので「小鴨」だろう。

先生が吹く笛のような鳴き声が特徴だ。名前の通りやや小ぶりな鴨の仲間で東京では秋彼岸の頃に渡ってきて春彼岸の頃に帰る。いつも集団でいるのだが、当地では大阪方面へ王寺駅を出たJR大和路線が大和川を渡る鉄橋あたりに多い。
この辺りは傾斜がきついのだろうか、流れが速くなっていていわゆる瀬を形成している。瀬というのは餌となる藻が多いのかどうか、この瀬を流されながら水面に顔を突っ込んでは浮かび、また流されては顔を突っ込むと言う繰り返しである。鉄橋近くまで来てやや深くなると、しばらく休憩して今度はいっせいに200メートルほど上流の瀬の入り口まで飛び戻って再び瀬下りへ。果てしなく同じような行動の繰り返しで、なかなかの働き者なんだなあと感心する。
一方、消波ブロックなどでよく日向ぼっこしているのがマガモのグループだ。彼らも鉄橋付近に渡ってくるが、彼らはあまり瀬では採餌せず岸近くを行ったり来たりしながらしている。上りもあまり飛ぶようなことをしないでひたすら流れに逆らって漕いでいるように思える。
おなじ渡りの仲間でもいろいろ生活のパターンが違うものである。

冬鳥

寒禽のただ群れ寄りぬ大和川

大和川は意外に鳥が少ない。
2キロほど探しても冬鳥の群れが二つか三つ。
いたとしても、声もしなければ動きも少ない。どこか地味なのである。

この時期ならいくつもの種類の冬鳥たちがみられるはずなのだけど。
考えられる理由は、ひとつはやはり寒い、ふたつはだから餌が少ない、であろうか。
いずれにしろ彼らが渡ってくる場としては条件が悪いということだ。

殺風景な川沿いを流しているとき、彼らがいればどれだけ慰められることか。
この点だけは、ちょっと寂しい。