愚挙

開発の肌むきだしに山眠る

中腹に冬日がさして、そこだけがクローズアップされる。

太陽光発電サイトを築こうと山を開発し始めたのはいいが、周辺の住民からの猛反発にあい頓挫したまま地肌むきだしでもう数年が経過している。今日たまたまそこがよく眺められるポイントに差し掛かったところ、ちょうどその部分に日が当たって一層無残にさらけだされた姿がいっそう哀れに思えた。
いったん県が許可したので工事が始まってしまったのだが、その直下にある住宅街の住民を中心とした抵抗で県も中断を要請せざるをえなかったようだ。反対の理由は事前の説明が十分にされなかったのであるが、ちょうど熱海の惨事があったことでもあり、ずさんな工事も問題視されてストップがかかったということらしい。
再生エネルギーの必要性はいうまでもないが、自然を開発するという難しさ、厳しさという相反する愚挙もまた責められるべきである。難しいところである。

雪の予報

山眠りにつくとき風黙らする

ようやく眠りについたような気がする。

先ごろまで山の紅葉の気配も徐々に褪せつつあったが、今日あたりは枯れ色に落ち着いてすっかり冬山らしくなっている。
風もなく空は薄曇り。山が静かに長い眠りにつくには絶好のコンディションである。
赤ん坊を寝かすように、そっと、そっと。
空気は冷たいが、山膚が澄んでよく見える。
今夜から雨となり、明日の夜はいよいよ雪が降るという。それを予感するかのように山は眠りについた。

一夜のマジック

雑木山眠らんとして煌めきぬ

まわりの山という山が急に輝きを失い始めた。

急激な寒さの到来で錦のような山紅葉も、一夜で覚めた色に激変して驚かせる。
これより葉を落として冬の眠りにつくのだ。

沈默

山眠る里によこたふ活断層

山紅葉が茶色に変わって平群谷はすっかり冬ざれてきた。

小菊の里でもあるが、その盛りも終わって畑も冬模様。
捨てられた田には2メートルほどのセイタカアワダチソウが茂り、それも冬に向けて枯れ始めたようである。
これを書いていて伊豆利島で強い地震があったようである。
当地も金剛山地沿い、盆地東側には大きな活断層があって奈良時代など過去にも大きな被害をもたらしている。そのほかにも中小の活断層が南北に走り、東西に伸び、意外に地震の巣窟の感がある。長い間沈默を続けており、いつ起きてもおかしくはない。

憧憬の山

言の葉に弟背と申す山眠る

散歩するとき常に視野にある山である。

山から見ると北にあるわが家からは、二上山は雄峰のかげに雌峰が入ってひとつの山にしか見えない。盆地中央部くらいになるとようやく双耳峰であることが理解できるが。
大津皇子が葬られたこの山を「今日から弟と思おう」と詠んだのが姉の大伯皇女だ。古代史ファン、なかでも大の皇子ファンとしては、いつ見ても特別な山。この山を起き伏し眺められる幸せは代えがたいものがある。

鴨族

降臨の神話伝ふる山眠る

午後から葛城・御所方面を走った。

葛城・金剛山の麓は弥生時代から農耕集落が形成されていて、古代王朝の有力な豪族であった土地である。ただ、藤原家と天皇を頂点とする律令制度のもとで記紀が編纂される頃には勝者の論理で歴史が大きく書き換えられたせいだろうか、歴史の継続性という観点からはどうしても理解できない話が多い。

ただ、平野部には神武が国見をした国見山があるし、その辺り一帯が今も秋津洲と呼ばれていること、その秋津洲には景行天皇の息子・日本武尊の白鳥陵があること、御所の九品寺の近くには第二代綏靖天皇の宮址があるなど、初期王朝の拠点であることは間違いない。したがって葛城一族(鴨族)というのは初期王朝では重要な役割を負っていたと考えるのが自然で、4世紀から5世紀にかけて百済の歴史書にも顔を見せる葛城襲津彦や、その娘で仁徳后の磐之媛の存在などかなりの権勢をふるっていたのは間違いない。

さらに、葛城の一言主神は「宋書」や「梁書」に「倭の五王」中の倭王武であるとされる雄略と対等に勢力を張っていたとされるが、やがて一言主神が土佐に流されたという話が伝わるので、おそらく雄略のころあるいはそれ以降に大和王朝の拠点が初瀬地区に移ったものと考えていいと思われる。それ以降は王朝拠点が葛城に戻ってくることはない。

今日は鴨族の神が祀られた高鴨神社(高鴨社)、鴨都波神社(下鴨社)を訪ね、高鴨神社からは秋津洲の眺めを楽しみながら国見山、白鳥陵まで足を伸ばしてみた。暖かくなると格好のハイキングコースにもなる。