帰り花かとみたが

玉砂利に粒と溶けゆく木の実落つ

椎の実がいっぱいこぼれている。

ただ、落下した先が境内の玉砂利で、木の実はまるで石の粒になったように溶け込んでいる。

ここは奈良市白毫寺。
晩秋の奈良盆地を一望できる素晴らしい立地だ。
萩の寺、五色の椿の寺として知られるが、秋でもあり冬と言ってもいいこの時期の句材が数多くある。

名にし負ふ花の札所の冬桜

とくにこの日目立ったのが冬桜、これから紅葉のシーズンずっと咲くというので十月桜とも言える。
小型の地味な花で枝いっぱい咲いていても、春のような絢爛たる華麗さとはまったく無縁なのが冬桜の特徴。

白毫寺へ登る萩の石段は有名で、その途中で冬桜を見つけたときはてっきり帰り花かと勘違いし、

乱磴の歩をゆるめては帰り花

と詠んでみたが、場所を特定しているわけではなし、これはこれで創作句として通じるのではなかろうか。

戻り花とも

とりどりのスマホ向けられ帰り花
帰り花登りの人には見えてゐて
よもや我が日向みずきの狂い咲き
風避けの舟影まばら帰り花
風避けの浦見おろせる帰り花

人だかりがして木を見上げている。

どうやら桜の狂い咲きが見られるらしく、帰り花と聞くとみなさんスマホや携帯電話をとりだしてカシャカシャしては満足顔だ。家に帰ったら家族にでも見せるんだろうか。
また、二番目の句は昨日信貴山ハイキングコースを下りているとき足元ばっかり見ている自分に気づいた。考えてみると、登るときには時々は顔を上げながら行く手を確かめたしかめ足を運んでいるようなので、この花の少ない時期に帰り花があればきっと見つけやすいんではないだろうか。

今月に入って「帰り花」という兼題句に取り組んでいるが、何のことやら、拙宅の植え込みに白い日向ミズキの花がさいているではないか。灯台もと暗し。