終活の第一歩

宛名帳とうの昔よ年の暮

とっくに鬼籍に入った友の誕生日の知らせが自動的に届く。

亡き後も本人のアカウントが消されず残っているため、システムはオートマチックに毎年知らせるのである。
考えてみれば、幾多のメールアカウントも持ってるし、いちいち覚えきれないくらいあちこちのサイトに登録しているので、死んだときのことを考えれば、そろそろ整理しなくては思うのだがなかなか腰が上がらない。
例の友だちの誕生日を知らせるFacebookには、死後の後始末を任せる者を指名しているので何とかなると思うが、銀行やクレジット会社、電気、ガスなど電子化しているところが多いので、私の断捨離はまずはそういう所から始めなければならないだろう。
しかし、早くに廃止するのも不便なことでもあり、いつも悩ましいのである。

電動自転車

自転車に荷を振り分けて年の暮

学校帰りの子らが自転車を灯して坂を登ってゆく。

夕方ともなれば主婦もまた買い物帰りの荷を積んで電動バイクを奔らせる。前も後ろもそのバスケットに荷物が多いのは年末だからだろうか。

県境をまたぐ

二年ぶり親に相見ゆ年の暮

今年の年末年始は久しぶりの帰省ラッシュがみられるかもしれない。

オミクロン株の脅威がどの程度か専門家でも見通せない現状だが、少なくともこの先一か月は府県をまたぐ移動を慎めというような事態にはなるまい。
従来通りの予防対策、とくにマスクと換気につとめれば恐るることにはなるまいと思える。
子供たちも二年つづいて帰省してないが、久しぶりの再会となろうか。

ガソリン安

満タンにすることもなく年の暮

ガソリンの値段がずいぶん下がってきているようだ。

年末年始に遠出する人たちには朗報だろうが、とくにどこへ行くとも決まってないので急いで給油する必要はない。かつては洗車、ワックス掛けして満タンにする。そして車にもお飾りというのが年用意の一つであったが、今ではお飾りはおろかガソリンだって正月2日ともなれば店を開けるところも多いので、必要ならそのとき給油すればいいだけである。
昔から守られてきた季節の風景も、こうしたちょっとしたことの積み重なりによって失われていくのだろう。

年の暮

年の暮妻の手はずに抜かりなし

トゥードゥーは諳んじ妻の年の暮

はじめて俳句会の本部例会に出席しました。

参加者六十名超、句誌でみるそうそうたる顔ぶれの中で気後れだけはしないようにと乗り込んだわけですが。
兼題が「薬喰」、「年の暮」、席題が「冬休」、合計七句投句し五句選句。
結果は入選一句。ほっとしたところです。

掲句は投句したものとは違いますが、それなりに我が家の歳末を詠めたのではないかと思います。私は家人の指示に従って動くだけです。

薬袋の常より厚き年の暮

賽銭箱

駐在の社立ち寄る年の暮

交番の不在がちなる年の暮

賽銭箱に何重もの鍵がつけられている。

神社にはふだん人があまり出入りしないので、人の目を盗み賽銭箱のわずかな浄財を失敬してゆく罰当たりが増えているそうである。鍵が壊されてないかとか、ただでさえ忙しいのに駐在さんも警邏せざるをえなくなって巡察のコースに入っている。

年も押し詰まってくると、お役所もなにかと気ぜわしいことになるようだ。

年賀状

住所録歳々薄し年の暮

宛先のメンテナンスなど年賀状の準備が完了した。

あとは印刷(ワープロ、パソコンが出現してもっぱら)するだけである。
ある年に宛先をだいぶ整理したのでかつてに比べれば随分少なくなったが、さらに加えて毎年数人ずつが鬼籍に入られるので数は減る一方である。
住所はパソコンで管理しているので、「印刷除外」のチェックをするだけでもう二度と印刷されることはないがデータは残っているので、この時期住所録の整理をするたびにいろいろな顔を思い出してはひとときを感慨に耽る。

文面は、初めて自作の俳句を添えてメッセージに換えることにしたのだが、句意がちゃんと伝わるかどうかは覚束ない。