体温まる

浮く豆をよけて始まる年用意

今日あたりからお節の準備が始まる。

まずは黒豆を選別して水に浸すことからスタートする。
自家製の豆だから不揃いは致し方ないと家人には言い聞かせる。
こちらはと言うと庭の木の剪定である。
時間切れで作業は明日に持ち越しとなったが、腰を上げる前には寒さに震えていても少し動くだけで苦にならなくなる。朝こそ放射冷却で一面霜が降りたが、日中は風もなく比較的穏やかだったのが助かる。
明日もまだ大丈夫ということだが、さて。

あらたまる

満タンにして洗車機の年用意

水が極端に冷たくなってきた。

もともとクルマを洗うのは好きでないが、齢とともにますます億劫になってきた。
ここ二年ほどは一度も洗った記憶がない。
今日は頼まれて原付バイクのガソリンを満タンにしてきた。原付だから満タンといっても3リットルもいかない。
ただ、正月に向かって「満タン」という響きは悪くない。年があらたまるということは気持ちもあらたまるのであるから。

ごまめの香

我が子への煮しめ送るも年用意

帰省できない子たちに送るお節。

昨年も事情があって帰って来れなかったので、二年続いて「おふくろの味」を宅配便に託すことになる。
今日は朝から台所が忙しい。
こうしている今もごまめの香ばしい香りがたってきた。

難題

山の井の竹樋きりだし年用意

年用意はいいが、春支度という季題は難しい。

毎年の決まり切った年迎えというのは幾らでも思いつくが、そうではない迎春準備と定義される「春支度」を詠むのは私には難題だ。正月をことのほか大切だという意識が、薄れてしまっているのが原因だろう。
今まで家庭や家事のことを家人に任せきりできたことを図らずも露呈しているとも言えよう。

今日締め切りの句会には何とか出句してはみたが、とても満足できるものではなく披露は差し控えておくことにする。

年越し奉行

妻の差配従うもまた年用意

台所の換気口掃除が終わり、今年最後のご奉仕が終わったようだ。

年末の妻の手際のいいことはすでに書いた。
一方の僕はと言えば、指示されたことを淡々とこなすだけ。「あれをやれ」と言われれば黙々とやるし、「あそこへ行け」と言われれば素直に行く。この「淡々と」「黙々と」「素直に」が非常に大事であるのは言うまでもない。

おかげで、我が家の行く年来る年への切り替えはトラブルもなくいつの間にか終わっているという案配だ。

予定より早めて明日、娘夫婦が来るというメールが入った。どうやら腰落ち着けてというわけにもいかず、ちょっと忙しくなりそうだ。

ご神体は三輪山


大神神社二の鳥居

この松はクレーンで吊るらし年用意

今日は大神(おおみわ)神社まで往復45キロ、こうなるとポタリングとはいえないかもしれない。
無事帰宅して、例によってNHKローカルニュースを見ると二の鳥居前の門松の据え付けについて報道していた。
それによると、門松は高さ5メートルだそうである。で、松を立てるのにクレーンを使っていた。

途中多(おおい)神社に立ち寄った。
ここは地鎮祭にお願いした神様だから、お礼をかねて参拝したわけだが、なにしろ神様の名前が長い。

我が家の守り神さま 「おおにますやしりつひこじんじゃ」