掃除番

白砂に配置の妙や散紅葉

ことしほど庭のいろは紅葉が見事だった年はない。

毎朝庭に出るたび心奪われていたが、どうやら散りの時期を迎えたようだ。
白砂と書けば枯山水を思わせるが、何のことはない。天気がよければ毎日欠かさない猫砂の日干しである。これを取り込もうとしたら、いい具合に紅葉が散っている。
そうなると、トイレの砂と言えどどこぞのお寺の枯山水の庭然としておると言えばオーバーだろうか。悪くはない。
猫どもは知ってか知らずか、今日も気持ちよく砂を掻いている。当主はひたすら掃除番をおおせつかっておる。

手向山冬紅葉

管公の腰掛石の散紅葉

ただの石や木なのに、有名人が座ったり、掛けたりすると、いかにもそれらしくなる。

腰掛け石だの鞍掛、笠掛松というわけだが、奈良手向山八幡にも管公腰掛け石なるものがあって、脇に管公歌碑が建立されている。実際には小さな鳥居とともに正面に祀られているのが歌碑で、腰掛け石は脇にある小さな石だ。
管公と言えば梅だが、ここには頭上は立派な山紅葉だ。勿論管公歌碑にある、

このたびは幣も取りあへず手向山紅葉の錦神のまにまに

からきているわけだが、ここは半日陰とあって長く紅葉が楽しめるが、誰となく賽銭を置いていく人があるのか、その賽銭にも紅葉が降っているのだった。

紅葉且散る

浄瑠璃寺浄土三昧散紅葉

須弥壇の黒光りして冬日和

奈良の北隣、木津川市の浄瑠璃寺の紅葉は素晴らしかった。

浄瑠璃寺の九体阿弥陀堂

池を挟んで東に浄瑠璃浄土の薬師如来、西には極楽浄土の阿弥陀如来九体をまつった、平安時代の寺である。薬師如来を安置した三重の塔は京の都より移設されたので戦火から免れて国宝、九体阿弥陀如来像、それをおさめた九体阿弥陀堂も国宝という堂々たるお寺であった。平安時代は貴族により阿弥陀信仰が広まり九体阿弥陀堂も数多く建てられたが、現存するのはここ浄瑠璃寺だけだそうである。

紅葉のピークは過ぎたものの、それでも浄土世界をもした見事な建物の配置もあいまってしばらくは声も出ないまま池を一周した。そのあと九体阿弥陀堂を拝観させていただいたが、阿弥陀如来さんが手を伸ばせばすぐに届きそうな場所におわす。また、ちょっと底冷えのする暗いお堂の中でも、結界ともなる須弥壇は長い年月人の手で磨かれたのであろう、黒光りしているのがはっきりと認められた。