管公の腰掛石の散紅葉
ただの石や木なのに、有名人が座ったり、掛けたりすると、いかにもそれらしくなる。
腰掛け石だの鞍掛、笠掛松というわけだが、奈良手向山八幡にも管公腰掛け石なるものがあって、脇に管公歌碑が建立されている。実際には小さな鳥居とともに正面に祀られているのが歌碑で、腰掛け石は脇にある小さな石だ。
管公と言えば梅だが、ここには頭上は立派な山紅葉だ。勿論管公歌碑にある、
このたびは幣も取りあへず手向山紅葉の錦神のまにまに
からきているわけだが、ここは半日陰とあって長く紅葉が楽しめるが、誰となく賽銭を置いていく人があるのか、その賽銭にも紅葉が降っているのだった。
先人が座ったり、触ったり、目にした石や巌はやはり特別ですね。
追体験するような思いで同じ視線で眺めていることに気づかされます。
散り急ぐ冬紅葉を惜しみつつ落ち葉をゆっくり踏みしめながらの散歩。
今シーズン一番の冷え込みと予報されていたが思ったより風もなく陽射しに恵まれた。
寒さを想定して夕食は寄せ鍋にしたが汗と鼻水拭き拭きの夕食であった。
今朝は初霜で、車の屋根も真っ白。本格的な冬がきたという感じです。
当地も朝から貴重な青空で、日の出の吉野大峯の稜線もくっきり。気持ちいい日和でした。
そうですね。有名人も有名人、天神さまですからねぇ。
来春の合格祈願に今から訪れる受験生も多いのでしょうね。サクラチルは困るけど散紅葉は大丈夫ってことで。
この当意即妙の詠みっぷりに憧れて訪う人もいるでしょうね。
急なお召しだから旅必携の幣袋も忘れるほど、なんちゃっていかにも洒落てます。意外にユーモア精神にも富んだ人だったのかも、
石の上に無雑作に置かれている五円玉には、何とか詩歌、書、学問の神さんと縁を結べますようにとの祈りがこもっているようでした。