春塵に金剛山こごせ葛城山かつらぎなかりけり

風が強いのにあたりが靄のようにかすんでいる。

黄砂とは言ってないから、土埃に加えて杉花粉がかき回されて大暴れしているのであろう。
ここ数年花粉アレルギー気味の症状がでており、くしゃみ連発、目をしばたたせ。
家に入る前には少しでも花粉の侵入を防ぐため、上着をぱたぱたはたいてみたり。
騒がしい春だが、今年の開花予想は24日だとか。しばらくあれこれと話題に困らない三月になりそうである。
そうそう、翔平君の奥さんをめぐってのこれまた巷の詮索、MLB開幕の韓国もまた騒がしいことであろう。

乾燥中

客吸うて店春塵の人ぼこり

ちょこちょこと外出の多い日だった。

帰るたびに上着の埃を払うのだが、それでもくしゃみ連発。
空気が乾ききっているので細かな粒子の埃、花粉、いろいろ混じった大気に花粉症持ちの身には厳しい一日だった。
昨日からマスク着用が緩和されても店内はほとんどの人がマスク。3年もの間すっかり馴染んでしまったものはそう簡単に外すことはできない。
外に出ればマスク越しでもくしゃみがひどい。杉花粉は乾燥している今がピークかもしれない。

満タン

春塵をからめて猫の抜毛かな

掃いても掃いても、コロコロで取っても取っても、猫の抜け毛だらけである。

冬でも毎日の掃除は欠かせないが、抜け毛のシーズンとなる春夏は一日一回の掃除では間に合いそうにない抜け毛の量だ。ちょっと抱いただけでも同じ。
四匹もいると相当な量になって、これに細かな埃が絡むものだから掃除機のタンクもすぐ満杯になる。

温める

片寄せて春塵拭ふ玻璃戸かな

今日はかつての環濠の町、一向宗の拠点ともなった寺内町の吟行である。

飛鳥川が大きく蛇行して東から北へ向かうところにある今井町は、信長との長い戦を経て赦免され、その後商業を中心に大きく栄えてきた。往時をしのぶ建造物は今も守られて、重文指定された豪商の館などが多く残っている。
建造群全体が保存地区に指定されているので、新改築にも厳しい基準が課されているので、町並みが揃って美しい町である。
だが、句材としては、町の中よりむしろ周辺に多く散在し、思った以上の数が得られた。
たとえば、濠の一部が復元されて浄化された水が循環しているようであるが、水辺には菖蒲や葦の芽生えも見られ、まさに水温む光景を堪能したり、椿の大樹の見事な咲きっぷりにみとれたり。
短い時間に思うとおりに詠めないのが吟行というものだが、温めていればいつか芽を出すこともあろうかと胸にしまい込んでおくとしよう。

蓮の寺

春塵や千年仏の箔のなほ

菅原の里の喜光寺は養老年間に行基が創建したと伝わる寺である。

菅原天満宮にも近く、菅原一族の氏寺として作られたという説もあり、別名を「菅原寺」と呼ばれる。
ここの見どころは、「試みの大仏殿」といわれる重文の本堂で、東大寺建立に先だって建築された、いわばプロトタイプとしての役割があったともされている。今の本堂は、室町年間に焼失したが縮小されて再建されたとのことだが、それでも迫力は十分である。
特徴の一つとして、上部に連子窓が設けられ、堂内に光が溢れるようになっている。丈六の阿弥陀如来と脇侍の両菩薩の頭上には天女が舞い、さながら堂内全体が極楽浄土のように明るい。
これまた重文の阿弥陀如来は平安時代の作で、開扉されたまま公開されているが、千年経った今でも驚くくらい金箔が剝落せずに残っている部分もあって保存状態はいい。

法相宗ということからも分かるように、ここは現在薬師寺の別格本山ともなっており、最近では、菅原の里の喜光寺から、西の京・唐招提寺、薬師寺を結ぶコースをロータスロードと名づけ、蓮の寺として観光アピールしている。
百鉢を超える鉢があったが、今の時期芽吹きはまだのようであった。

なお、菅原というのは土師氏の一族であるが、その土師氏というのは、垂仁天皇のとき野見宿祢(天皇の前の相撲で当麻蹶速に勝ち、相撲の祖とされる)がそれまでの殉死を廃し、代わりに埴輪とするよう進言し容れられたことから賜った姓で、いまの菅原のあたりを本願地としていたようである。言われてみれば、菅原の里のすぐ南に垂仁天皇とされる御陵があり、両者の関係は相当密接なものがあったと思われる。

日食残念

春塵のベンチに始発電車待つ

冬の間人影もまばらだった公園に人が戻ってきた。

しばらく使われなかった遊具やベンチはどこか埃っぽい。
高架の駅のホームも、昨日の荒れた天気の余波かベンチにうすく埃が積もっている。

春埃ではなく黄砂が舞うような日なら、太陽だってかすむだろうけど、今日は生憎の雨で日食は見られなかった。次は3年後だという。

机上

春塵の小口になじむ初版かな
春塵や書架の小口のことごとく

日中窓を開けるようになった。

机の上に積んだままの文庫本やら新書本など、久しぶりに開こうものなら何やら埃っぽい。アマゾンで買った谷崎の「吉野葛」など中古本だったせいか小口の色も煤茶け、活字の小さい初版ものだったりする。こうなると弱った老眼には手に負えなくてまた元に戻したらそのままさらに埃をかぶることになる。