鍋の具

種屋からカタログ届く春隣

分厚いカタログが届いた。

夏物野菜や花の苗、そして種、小型耕耘機や電動草刈機など資材もいろいろ。
来月ごろから夏野菜の準備が始まる。
苗などホームセンターでも手に入るが総じて専業店のほうがものはよい。インターネットでも入手できるが、新鮮度など届いてみないと分からないことがあって、リアルの店舗の方が安心感がある。
最初の作付けというと来月のジャガイモということになるので、昨日から種芋の芽出しが始まった。いくぶん早いのは気温が30度になるのが年々早い傾向にあるので早めたほうが安心だからである。
家にこもっている日々から気持ちは外へ向かっている。
暖かいこともあり畑から白菜を収穫してきた。毎日のように霜にあたってきっと甘いはずである。今夜ささやかな後期高齢者突入祝いの鍋の具となる予定だ。

これで大寒?

ショッピングカート二人で曳いて春隣

空も山もすべてが霾るように曇っている。

景色はもう春である。今日から大寒というのにである。
スーパーマーケットまで買い物に行く途中そのことにしきり話がおよぶ。
ようやく、大峯や高見山が冠雪した景をみせてくれるようになったばかりと言うのにである。
風も強くて立春はまだだが春一番と言ってもいいくらいである。
今週の予報も暖かい日がつづくと言うし、早咲きの梅の便りもちらほら聞こえる昨今である。

さっぱりする話

蒸タオルされてうつつの春隣
部屋に綱打つ日さだまり春隣
真新しき明け荷三つの春隣
房総へフェリーそろりと春隣

毎日「寒」の句ばかり続くので気分転換。

一足早く春を呼んでしまおう。
というわけで、散髪屋でさっぱりする話。
最近は千円カットなる店が増えたが、シャンプー、ひげ剃りのサービスはなく、ほんとにカットするだけの店だ。
シャンプーがないというのはほんとに困りもので、細かい切りくずが首筋などから入った日にはかゆくてたまらない。
やはり散髪屋となると、たとえ子供でも耳の周囲、首筋、額の生え際、眉毛まわりなどはちゃんと剃刀を当てるのが普通だったし、シャンプーも丁寧に二回してくれるのが普通であった。
窓から暖かい日差しも入って、暖房がよく効いている上に、湯を沸かしたりタオルを蒸す蒸気もあって湿度も充分とくれば、そこはまるで温室である。蒸しタオルされてしばらく放置されてる、ほんの短い間にもすぐに睡魔がおそってきて、あとは半分眠ったまま顔を剃られている。終わってさあと椅子を起こされても、そのあとのシャンプーの気持ちよさが続きまだまだ魔術は覚めない。
関西ではシャンプーの最後はさあと顔を自分で洗うように促されるが、ここらあたりでようやく頭がすっきりしてくるという次第だ。

横綱昇進伝達式と口上。田子の浦部屋にはもう春が来たようです。

よく乾く日

乾し物の匂ひ取り込み春隣

よく晴れて気温も高い日だった。

感覚的には三月下旬くらいの感じ。
確実に三寒四温のサイクルに入った気がする。

底冷えの盆地でも、洗濯物が昼前には乾いたというのは久しぶりだろう。

サイクリングの季節

自転車に空気いっぱい春隣

真冬でも走れないことはない。

ただ、サイクリングはやっぱり春のものだ。
冬の間しまい込んでおいたバイクの出番に備えて、洗車したり、チェーンにオイルをさしたり、タイヤにも空気をたっぷり入れてやる。
あとは天気図を見ながら風の少なそうな日をひたすら待つ。空気はまだ冷たくても自転車日和。春はそこまで来ているのだ。

温室状態

窓開けて車走らせ春隣

天気がいいと車の中がまるで温室状態。

昨日などは少し窓を開けなければとても暑くてたまらないほどだった。こんな経験は3月になるとしょっちゅうなんだけど、今年は早くもといったところだろうか。

今日は一転して雨。だが、土が黒くしっとりしてきて、まるで「穀雨」ではないかと思えるほどだ。

嗅覚の春

風止んで匂ひたちたり春隣

風止みて 土の香のぼり 春隣

春の知覚は視覚よりも嗅覚のほうが勝っているのではないか。

古い農家の前を通りかかったとき、一瞬間であるが春の土の匂いがしたのだ。この匂いは土の種類が違っても関東のものと同じで、同時に懐かしさや親しさも感じるものであった。
確かに冬萌えなど寒の中に春を見いだすこともあるが、それはあくまで心象や「願望」としての春にすぎないものだ。対して匂いというのは、たとえ局所とはいえその場の空気そのものが具象としての春になっているのではないか。