仕立て直し

柿若葉雨をふくみて下垂るる

柿はつぼみも顔を出してきた。

枝先が多くの葉をつけて重たそうであるのに加え雨をたんまり受けて、それだけの重量を支えるだけの太さ、硬さをもたない若い枝がいっせいに垂れ下がってしまった。
枝振りが悪くなったので、昨年思い切って切り下げて新しい枝の成長を促したのがどうも裏目になったようである。
上へ向けてしっかり伸びて行けるよう、一から仕立て直しが必要のようだ。せっかく若葉を茂らせてきた柿には気の毒だが、この雨が止んだらちょっとした手術をせねばなるまい。

まき時

くるくると展がりそめし柿若葉

身の回りはすでに夏の季語だらけである。

たまたま今日は寒い雨で、おまけに黄砂まで覆ってくるということだが、連日の暑さで梅は1センチほどの実を結びはじめたし、柿は小さな若葉をひろげようと背伸びをしているみたいだ。
この柿の葉で三つくるめるくらいになると、隠元豆の蒔き時だと昔から言われている。そのでんで言うとまだちょっと早いと言えるのだが、これだけ季節が先へ先へ進むのなら少々フライングでも問題なかろう。
これと同じように、合歓木の花が盛りを過ぎたら豆を、すなわち大豆だが、まけとも言われている。
このように、自然のものに即して農事をさだめるのは先人からの知恵だが、現代にも十分通用する考え方であろう。
ホームセンターへ行けば夏の野菜の苗がこれみよがしに店先に並べられている。つい手が伸びそうだがさすがにそれは早計であろう。いまだ遅霜のおそれもあるわけで、自重自重。

照り返し

生り年の花芽重たや柿若葉

花芽をびっしりつけて枝がしなる。

徒長枝と言って通常は切り落とすところ、垂直に立っていた枝を残すようにコンパクトに剪定したところ、若葉が照りをましてくるにしたがい花芽がみるみる大きくなり、その重みで垂直の枝が耐えられず下を向いてしまっている。
また、幹からは多くの新しい枝が生まれ、その先端はまるでゼンマイのようにまるまっている。ここからも若葉がどんどん生まれていて新しい樹形を形成しようとしている。
先に生まれた若葉はもうすっかり大きくなって空に向ってひろがり光を集めようとしている。照り返しの陽光がまぶしい初夏である。

裏年だが

臍のある旋毛のあるも柿若葉
下されし雨を諾ひ柿若葉
柿若葉触れて産毛のらしきもの

柿の葉がずいぶん大きくなってきた。

気がつけばいつの間にか花が実になっている。
昨年はずいぶんたくさん採れて、今年は順番で行けば裏作となるはずなのに、剪定がうまくいったのかそれなりの数を見せている。あとひと月もすれば葉も大人のそれになるんだろうが、色も若いし触ればやわらかい。
その葉をそっと撫でてみると何だか産毛があるような気がしたが。

レンタサイクル

自転車で巡る斑鳩柿若葉
柿若葉世界遺産の後背地

法隆寺自体には柿はないが、斑鳩の里を歩けば無花果や葡萄、柿の畑が多い。

ここの無花果の実のことは以前にも触れたが、この時期はばっさりと剪定した太い幹から若い枝が2,30センチほど伸びたばかりで、これで本当に実が成るのか不思議な光景だ。葡萄はまだ花は咲かないが、着実に花芽がのびて蕾を充実させつつある頃。

法起寺の国宝・三重塔

柿はと言えばご存じ柿若葉の候。花芽もすっかり形がわかるほどに成長しつつある。法輪寺や法起寺の裏手の丘は葉に照る光がまぶしくて、国宝の木造の塔とは好対照である。
飛鳥もそうだが、駅からはちょっと距離があり、各お寺も互いに離れているので、斑鳩はレンタルサイクルで巡るのに最適かもしれない。何より飛鳥に比べてフラットなのがいい。さらに足を伸ばせば茶道石洲派の祖・片桐石洲が作った名庭園「慈光院」にも近いし。

柿の木は残った

廃屋の解体跡の柿若葉

かなり崩れかかっている家があったが解体されて今はない。

その時どういうわけか、柿の木一本だけが切らずに残されたのだった。今日通りかかると、その木は若葉がまもなく青葉になろうかという頃で、小さな実さえつけているのだった。
古屋の頃から誰も収穫しないで朽ち果てるに任せていたのが、今年また空しく実をつけようとしているのだった。

産毛のような

黒肌の幹をくねらせ柿若葉

斑鳩の里、築地塀沿いの道をぬけたあたりの民家に柿の若葉を見た。

黒松のようにがっしりとした幹を形成した柿の老木が、いかにも柔らかそうな若葉を茂らせているその対比には心惹かれるものがある。
この産毛のような柿葉もやがて夏葉になり秋葉になって里の季節を移ろってゆくのだろう。