熟すを待って

牧の原一本柿の当り年

丘の上に柿の木が長い影を落としている。

葉っぱがすでに全部散った分余計に黄色い実が多く見える。
天に向かって真っ直ぐ伸びている木で、誰も手を入れている様子はない。収穫だって期待してないだろうし、採るとすれば烏や鵯などの鳥たちくらいであろう。種が運ばれてきて自然発芽して育った木なのか、あるいは誰かが植えた木で鳥たちに食べさせてやろうと思ったのかもしれない。

隔年に実が成るという木だから、今年は豊作の年。
鳥たちの気の済むまでついばめばいい。

眉刷きのような雲

里の柿買うて金剛山雲高し

今日は橿原考古学研究所長菅谷氏の講演会に顔を出した。

何でも、橿原市・明日香村・高取町の三自治体が協力して世界遺産登録を目指そうとしていて、その前段である「日本遺産登録」された記念の講演だそうである。
テーマは「日本国創成のとき〜飛鳥を翔た女性たち〜」で、推古以降持統に至るまでの女帝の「女帝中継説」的扱いに再評価を求める話であった。
現在氏が寄稿する日経新聞夕刊のコラムは、扱う話題も幅広く内容的にも超一級のエッセイストぶりを発揮されてるので、今日の講演を早くから予約して心待ちにしていたのである。
風邪を引かれて喉の調子はみるからに辛そうだったが、氏の話は期待に違わず示唆に富むこと多く、また大変ユーモアに包みながらお話しされるので予定時間はまたたく間に過ぎていった。

会場を出ると秋の雲が流れる青空を背景に畝傍がすぐ眼前に見える。天気がこれ以上ないくらいよくて、秋の日差しもまだ時間が充分あるので飛鳥を歩くことにした。

修学旅行生

水彩の達人

里の柿

自転車で散策している修学旅行生のお嬢さんたちやら、飛鳥の田園風景を描いている日曜画家と立ち話したり、途中酒舟石前では地元の柿を買ったり。

飛鳥から金剛・葛城を望む

さあ帰ろうと振り返ったら、金剛山から盆地にかけて眉刷きのような雲が流れていた。

柿畑の主

色鳥の尾羽を金茶に打ちふれり
尾羽打てる鳥のしばしに柿の畑

法隆寺にはなくても、斑鳩の里にはある。

柿畑である。法隆寺の後背部にあたる、法輪寺や法起寺の辺りはまさに里といっていい風情が残されていて、果物の産地でもある。大小のため池の周りには葡萄、無花果、柿の畑が点々と広がっていて、今は柿の木に真っ赤に熟れた実が鈴なりである。
遊歩道も整備されているのでその周りを歩いていると、「カタッカタッ」という音が響き渡ってきた。その主は柿の木のてっぺんにいるジョウビタキの雄で、しきりに尾を打ち鳴らしているのだった。ジョウビタキというのはいろんな鳴き声を聞かせてくれる鳥なのだが、その日はただ尾を打ち鳴らすのみ。何のための行動かは分からないが時々に響く音にしばらく耳を傾けた。

柿紅葉

柿の実のひとつとてなき裏の年

ここまで徹底しているのは珍しいのではないか。

裏年の柿の紅葉

柿のよく成るとあまり成らない年のことだが、どうやらあまりならない木だと思ってよく見ると、実は一個も成ってないのだった。
その成ってないのがもう既に一部は落葉すら始まっているようで、今年の紅葉は随分早いようである。そう言えば,街路樹などのハナミズキは真っ赤で、紅葉も随分進んでいるようだ。

斑鳩の柿

特産の柿も並べて直売所

斑鳩町というのは法隆寺さんを除けば農業が主体である。

特に夏からは梨、つづいて葡萄、法輪寺周辺では夏の終わり頃から無花果などの果物作りが盛んである。随所に農園直営の販売所があり、そばを通り過ぎるたびに季節の移ろいを感じることができる。

昨日はジャムにしてもらうつもりで無花果を探したが、ピークは過ぎて大きなものの季節は過ぎたという。そのかわりに、笊いっぱいの柿がずらっと並んでいた。

ヘッドライト

山峡の夕暮れ早し柿一本

曽爾高原からの帰途R369を走る。

山あいを走る道はぐんぐんと暗くなってゆく。誰も手をつけないのか、民家の庭に黄色い実をいっぱいつけた柿の木が目にとまる。

名物は旨いか

押し寿司を包む柿葉の広さかな

名物に旨いものなし、というのは当てにならないことを実感した日だった。
まいど食い物ネタで恐縮だが、今日の弁当に入っていた柿の葉寿司のうまかったこと。
中味は鯖だったが、これの酢の浸かり具合が絶妙なのだ。
実はいままで青魚を酢でしめたものでは、「さごち(鰆の幼名)」が最高だと思っていたが、長年の考えを改めなければならない。
当地では「しめさば」の類を「きずし」というようだが、ものの本によると酢の浸かり具合が東に比べて深いようであり、このことが鯖のうまみを引き出すのに成功しているのかもしれない。
それにしても、寿司用の柿葉というのは普段見るものよりは一回り広いということには驚く。