標準木あふぎ桜は開花すと
東京は今日開花宣言したようである。
九段の標準木の周りにはいつになく人があふれ、「お待たせしました。開花です。」の声にどっと歓声がわく様子が放映されていた。
週末にまた気温が下がると言うから花期は長いかもしれない。
開花すれば、次は満開便り。
次から次へ楽しみが広がっていく。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
標準木あふぎ桜は開花すと
東京は今日開花宣言したようである。
九段の標準木の周りにはいつになく人があふれ、「お待たせしました。開花です。」の声にどっと歓声がわく様子が放映されていた。
週末にまた気温が下がると言うから花期は長いかもしれない。
開花すれば、次は満開便り。
次から次へ楽しみが広がっていく。
ニュータウン輝き褪せて桜老ゆ
戦後いっせいに植えられた各地の桜が衰えを見せているという。
なかには伐採して若い木に植え替える計画もあると聞く。そのほとんどは一代限りの染井吉野だが、実際に衰えたさまを目の当たりにすると、人工的に作られたものってほんとうに弱いものだと思う。
この春、有名国立大学のある駅前の桜通りが全国的に知られる東京郊外の街にたまたま行く機会があり、しかもその日が東京の満開日というだけあって広い駅前通りのそぞろ歩きを多くの人が楽しんでいる光景を目にした。つられて車も大変な渋滞で車内からも桜をゆっくり楽しめたが、10年ほど前に見た光景とは何処か様子が違うような気がしてきた。はたと気がついたのが、木の様子である。盛りの頃には元気な枝を縦横に延ばしていたのが、今ではそのようなボリューム感がない。すっかり枝も衰えてやせ細っているようにも見える。幹がりゅうりゅうとした瘤を見せている一方で、もはやその太さに見合った枝振りではないのだ。
おなじようなシーンは、やはり田園都市線沿いの高級住宅街で10年ほど前にも見られた。
街の高齢化を象徴するように、桜通りの輝きが失われてゆく。
やはり染井吉野という桜は、人のそばでないと生きられないあだ花でもあるのだ。
大仏殿いよよ華やぎ桜かな
東大寺境内の桜がようやく始まった。
一部の桜はすでに満開状態のものもある。その枝をすかして夕日を受けて金色に光る大仏殿の大鴟尾が眩しい。
秘め事は見て見ぬふりのさくらかな
隠し事の一つや二つ。
白日の下にさらさなくてもいいものもある。
まして満開の桜なら黙って見逃してくれるだろう。
今日は宇陀ハイキングの予定だったが、残念だが体調悪く欠席。
気を取り直してまた作句に励もうとしよう。
日の暈をかざし一本桜かな
大宇陀の「弘法大師の岩清水」を汲みに行くついでに、「本郷の滝桜」(又兵衛桜)まで行ってきた。
満開を2,3日ほど過ぎた程度だが、この2,3日が猛烈に寒かったせいかまだまだ十分に楽しめるボリュームがある。人手が多いのでカメラアングルを探すのも一苦労するが、それもまた楽しい。
桜ばかりに気をとられていると気づかないのだけど、足下の河原(ロープが張られて立ち入り禁止になっている)には土筆がいっぱい。タンポポもいるし、犬ふぐりも萌えだした草原に点々と星を散りばめている。
桜の後ろに控える桃も花が開き始めて彩りを添えている。
すばらしい花が見られて、うまい空気もいっぱい吸えるところが車で1時間ほどのところにあるという、まったく地の利に恵まれて幸せなんだろうと思う。
吉野山桜権現詩ごころ
来週吉野に登ろうと思う。
この季節、いうまでもなく桜の山として賑わうが、古来から歴史と大きな関わりをもってきたという点でおおいに興味をそそられるものがある。
天武の蜂起を支援し、義経逃避行を助け、南朝が宮を置いたりとか。
それに何と言ったってあの桜の西行さんが3年も庵を結んだ山なので、その跡を訪ね、苔清水を掬って西行さんにあやかろうと思う。