植えて一週間

畔探る植田の水のもれどころ

田植え後一週間。

順調に育ってきているようだが農夫は浮かぬ顔である。
どうやら田の水がもれているらしく、その原因がつかめずにいると。
土竜が縦横に畔を走っていてそこからもれるのもあるようだが、このたびはちとひどいと首をひねっている。
見事な畦塗りにみとれもしていていたが、それでももれる原因とは何だろうか。
無農薬で萍も少なく頑張っている田だけに、その隣で菜園を楽しんでいる我らにとってもすこし気がかりである。

濁り恋しき

苗箱の畔に詰まるる植田かな

今日田植があったようだ。

菜園の隣の田は田植えが終わっていまだ水は濁ったまま。他の田の田植えも終わったのだろう、夕方になって早苗運搬車が苗箱を回収に来た。
田が澄んでくるのはいつなんだろうか。

鰓脚

植田はや澄んで豊年蝦おどる

名前がなかなか出てこない。

たしか、稲にちなむ名前で、どこか目出度い名前をもらっていたはずといろいろ検索はしてみるももどかしくも思い出せないでいた。
検索キーワードもうまい言葉が見つからず、「え〜と、え〜と」を頭の中で繰り返す。
すると、ふいに「豊年」という言葉が過ぎったことから、いっせいに脳細胞にフル活動を命じると「エビ」が思い当たる。組み合わせると「ホウネンエビ」になるではないか。
これで検索したら百発百中のドンピシャ。画像も実際に見たイメージのものだった。
「豊年蝦」。これが多い年は実りが約束されるといわれるも、近年はめっきり数を減らしているらしい。
水も不足なく田植がようやく一段落した盆地は植田一色。田水も澄んで小さな生きものがよく見える。
イトミミズ、小さな水中昆虫がときどき水面に頭を出しているのは空気を取り入れているのであろうか。
屈みこんでのぞいていたら、こんなに近寄って田んぼをのぞき込むなんて何年ぶりだろう、おお懐かしい「豊年蝦」を発見。
ふわふわと浮遊するように、そう浮遊という言葉が相応しい、そんな動きを見せながら、繊毛のようなたくさんの脚を小刻みに動かしている。これは「鰓脚」と呼ばれ、呼吸機能があるようだ。これでかき回して水中の植物プランクトンを摂る。
甲殻類だった。水中昆虫だとばかり思っていた。
なかなかヒットしないわけである。

一面の湖

ものみんな逆さに映る植田かな

盆地は青田にはまだ早い。

どの田も空だったり、電柱だったり、家だったり、ふだん気にせず見過ごしているものがみな逆さに映っている。
南北にゆったり裾野をひろげた三輪山も、その全容を田に映したまま、道行く人に従いてくる。
生駒など高いところから見下ろせば、いまの盆地は水をたたえた湖のように見えるかもしれない。

この時期に顔を見せる原風景

行きずりの橋に見下ろす植田かな

ここ数日、東山中を行き来している。

若葉も幾分落ち着いてきて、青葉に移り変わろうとしている山里はいくら走っても走り飽きることはない。
ことに美しいのが、田の風景である。田植えが終わって間もない田は水を満々とたたえ、その田に若葉青葉、そして青空が映り込む風景はこよなく美しいし、いかにも日本的な原風景に巡り会えるような気がする。
それに比べて、国ン中は雨期に入るまでは乾ききっている。だから、このさわやかな空気に満ちている僅かな期間を惜しむように東山中、吉野へ分け入って心の清涼剤をいただくのだ。

植田残照

いくばくの植田を恃み墓いくつ

奈良盆地は今が田植えの真っ最中。

あんまり大きな耕運機は見ず、小さな機械にまたがって三輪車のようなハンドルでことこと植えている光景をいくつか見た。なかには数人で手植えしている風景もあって、どこか懐かしさを誘う。

一段高いところに墓地があって植えたばかりの田に影を落としていた。