貞享四年とは

水船は江戸期と伝へ水澄める

八幡さんの祭は今日が本宮祭なので、句材を拾いに出かけてみた。

17世紀の創建という神社には何度か散歩の途中に寄っているが、手水舎の水船の銘は間違いなく貞享と刻んである。同4年(1687)には生類憐みの令が出された。その5年前には八百屋お七の起こした江戸大火、翌年は元禄元年という頃である。
普段は水も流されてないはずだが、祈願祭の今だけは竹の樋からとろとろと澄んだ水が流れ込み、あふれた水は地面にそのまま吸い取られるように染み込んでいく。

この水船は当町で一番古いものだと教育委員会の折り紙付きだから、あの龍田大社のものより古いことになる。自然石をそのまま穿っただけの素朴な細工だが、氏子たちが綿々と大切に守ってきたのがうかがえる味わいのあるものだ。

見えない川

水澄めりもはや木橋もなきあたり

飛鳥川というのは意外に深いV字の谷を形成している。

しかも川幅が極くせまいので、川の姿がようやく見えてくるのが飛鳥板葺宮のあたりだ。ここまでくるともう深い谷の形成はなく普通の小さな川になるのであるが。

その深い谷となっているあたりに稲渕の棚田があり、すぐ下流には天智が皇太子の時住まいしたと言われる稲渕宮跡、つづいて石舞台脇へ流れていく。
いずれも川の近くを歩いて、確かめるようにしないと覗きみることはできない。飛鳥へ行かれるときは石舞台まで行かれたら、ぜひこのあたりまで足を伸ばしていただくと別の魅力を感じることができるだろう。

飛鳥もなかなか広くて一日で歩き回ることはできないが、私は飛鳥でも素朴な風景を見せるこのあたりが一番好きだ。

いのち満つ

キャンバスに満る命の水澄めり

澤口先生の個展初日である。

同窓会関西支部仲間が先生を囲んで食事会をするという連絡をもらったので、迷わず仲間に入れてもらうことになった。
先生は2度の大病を克服されたあと今年も意欲的な作品の多くを出品され、ご健在なことがうかがいしれたわけですが、なにより印象的だったのは、泉からほとばしる水がキャンバスから今にもこぼれそうな「満ちる水」と題された絵に「命の躍動」そのものを感じたことであった。躍動、すなわちエネルギーであり生命力を象徴する。これはまさしく先生のみなぎって止まない「満ちる命」なのである。