滝見は涼し

滝壺の瀞となりゆく深みかな
句座涼し通し座敷の大室生

久しぶりの外出。

それも少人数の吟行句会である。
標高のある、句友のどっしりとした館の通し座敷に風がふきぬけてエアコン知らず。
密集にもならず密接もなし、安心して合評にわいわい。
やはり俳句は座の文芸である。

間をおく

ぎっちょんのちょんの休止符昼涼し

この二三日キリギリスと思われる声が響く。

「響く」がよく似合うほど大きい声である。
二三匹いるようで、相手をうかがうのか我関せずなのか知らないが、それぞれ「ぎぃーっ、、、ちょん」ときっちりと休止符を打つのが面白い。
7月そうそう早くも虫が鳴き出した。その一号なのかもしれない。いわば初虫ということか。

クールジャパン

お団子に結って涼しき発表会

何か、どこか、涼しいのはないだろうか。

こんなに逃げ場のない暑さというのは初めてだ。
こうなれば、こちらから日常の中に「涼しさ」を求めなければならない。
「クール」とは文字通り「冷たい」、転じて「人が冷たい」という意味だが、最近は「かっこいい」という意味に使われるほうが多いようである。
クールジャパンはいいが、この暑さでインバウンドニッポンがしぼまなければいいが。

梅3キロ収穫

九ちゃんの口笛涼しカーラヂヲ

口笛も草笛も久しく鳴らしたことがない。

今日車に乗ってると、何気なく聞いていたラヂヲから九ちゃんの「上を向いて歩こう」が流れた。
あんな高音の口笛がよく出るものだと感心したが、もしかして口笛というのは自分の音域というものにもリンクしているのではないかと思った。
どうやっても高いところの口笛が吹けないし、その高いキーの部分はやはり歌うこともできないのだ。

梅はまだ大丈夫かと油断していたら、今朝いっぱい落ちていた。
きゅうきょ今朝は梅のもぎ採りと、込みいった枝の剪定を行った。
梅は大きからず小さからず、3キロほど採れた。
もう少し熟れさせて、梅干し作りに挑戦だ。

見上げるような神杉

つくばねの羽根生え初めて宮涼し

衝羽根の実というのを初めて見た。

無患子の実が追羽根の玉となるのに対し,実自身が4枚の羽根をもった衝羽根の形をしているのである。大河ドラマのタイトルバックに用いられているように、秋になると枝から離れてヘリコプターのように空を舞う。
丹生川上神社の境内に茨木和生(運河主宰)の句碑「こっぽりの子が衝羽根の実を拾ふ」があり、そこから顔を上げると衝羽根の実をつける木があった。といっても、宿り木であるらしいのだが。
樹齢千年を越えようかという大木の神杉もあり、川音も聞こえてくる宮を吹く風はすこぶる涼しい。
あらためてもう一度ゆっくり来てみたいと思った。

粋と涼しさ

髷高く結うて涼しき女かな

祭髷と言うのだろうか。

男の祭髪が粋とするなら、女の祭髪は瀟洒とも言えようか。
粋も瀟洒も涼しいにつながる。
この「涼しい」というのは本人にとっての「涼しさ」では勿論ない。周りを涼しくさせてこそ、粋であり、瀟洒なのである。
自分だけが涼しくていいというのなら、それは単なる野暮というものである。

屏風岩

線刻の衣紋涼しき磨崖仏

室生寺の入り口を守るようにある大野寺。

大野寺の磨崖仏

樹齢400年のしだれ桜が有名だが、もっとよく知られるのが宇陀川を距てた対岸にある磨崖仏だ。
高さ11メートル超の弥勒菩薩立像が、屏風岩をくり抜いて光背とした面に線刻されている。河原に降りて間近に仰ぎ見るとその大きいこと。
高さでは長谷寺の十一面観音さんにも負けない。足下には豊かな清流の音、屏風岩の左右は何の木だろうか鮮やかな若葉、そして上には松の木が濃い緑を形成して松蝉の声が降ってくるような佇まいに、しばし暑さも忘れ聞き惚れ、みとれている。

室生寺まで足を伸ばしてみたが、やはり宇陀川沿いの屏風岩が美しく、秋の紅葉さぞかしと思われる絶景だ。最後の大きな屏風岩を巡ると山門に到着だが、こちらは意外に観光客は少なく、このシーズンの穴場かもしれない。