酒量

秋風や葉書の欠に丸を打つ

この時期、いろいろお誘いの案内が届く。

暑さも落ち着いた秋は同窓会、OB会などのシーズンかも知れない。
我ら世代とそれ以上の世代の連絡手段はいまだに郵便で、メールやSNSなど便利なツールもあるなか幹事の仕事もなかなか大変である。
なかには毎年会報を発行している会もあり、たとえ欠席でも近況報告を兼ねて拙稿を送らねばならない。会の当日はしばらくは欠席会員の近況などを肴に盛り上がることになる。
秋の集いは熱燗などいろいろな酒がうまい。秋の夜長を、気のおけない仲間と過ごせばあっという間に時間が過ぎてゆく。どなたも酒量は昔に比べればずいぶん減ったが、自分の適量は十分コントロールできる世代となっている。

荒食い

秋風に嘴みなかざす川鵜かな

大和川河原に川鵜集団が並んでいる。

川鵜というのはこういうときって、両翼を広げて日干ししていることが多いのだが、昨日目撃したのはまるで風の匂いでも嗅ぐように一様に嘴を天にかざしていたのだ。
あれはいったいどう言う行動パターンなのだろうか。
これから冬に備えて荒食いする季節が來たぞと言い交わしているのか。
鯉が多い川であるが、その鯉の稚魚たちにとっては受難の季節かもしれない。過去目撃したのでは30センチを越えるのだって餌食になっていたのだから。
みぃーちゃんも暑さを乗り越えて食欲が出てきたようだ。

全勝

内線に受くる辞令の冷やかに
内線で決まる人生身に入みて

秋独特の季語に「身に入む」、「冷ややか」がある。

それぞれ、通期の日本語としても存在すると思われるが、俳句では秋のものとなっている。
これは「秋のあわれ」といつの間にか結びついたものと考えられるが、平安時代の歌には盛んに「身に入む」が秋と結びつけて詠まれているところから来ているとされる。
いっぽうの「冷ややか」も冷たい視線を言うという意味では通年にあるが、元は秋になって皮膚感覚で「冷たく」思ったり感じたりすることで、初秋の「新涼」に始まり、「秋冷」、そして晩秋の「そぞろ寒」「やや寒」「肌寒」「朝寒」に連なる語である。

掲句は、サラリーマンがなかなか重い辞令を受け取ったときのものを、二つの視線で詠んだものだが、実際には遠く離れていない限り電話一本で辞令を伝えられるわけではないだろう。
ただ、電話で上司の部屋に呼び出されたときというのは心のさざめきもあって、告げられるまでは「どうか悪い内容ではありませんように」と祈りながら向かうのである。
何回か内線電話で「ちょっと来い」と呼ばれたことがあったが、我が戦績は四勝四敗くらいであったろうか。豪栄道のように全勝とはなかなかいかぬものである。

秋風のしみる辞令となりにけり

話変わって。
バリバリの中堅で頑張っているころ、突然労組幹部から電話で呼び出され、組合専従の打診があった。
当時、労使関係はそれまでの蜜月関係に微妙に揺らぎを生じており、難しい局面が予想されることもあってとてもその場で受諾することはできず一旦は保留したのであるが、実はすでに事前に会社側の了解をとっている事項であり実質的に拒否できない、拒否するなら退職を覚悟しなければならなかった。
以後六年間を想像だにしなかった分野で過ごすことになるのだが、これがいろんな意味で以後の人生に大きな影を投げかける結果を生むこととなった。なかんずく、三年間を上部団体に派遣され、組合の文化活動の拠点となる雑誌編集に携わったことで、文芸、芸術関係の一流の先生方の謦咳に触れることができ、たとえばものを書くことも苦ではなくなったのが、このブログにつながっている。