繰り返し

県道が古墳切り割る竹の秋

今年の竹林の黄金色はどうだ。

これほど見事に枯れることは珍しい。今にも全部の葉が落ちるようである。
現に少しの風にも竹落葉が降ってくる。盆地を広く見渡せばあちこちにこんもりとした黄金の森が点在している。古墳である。
竹秋は春、竹落葉は夏の、それぞれ季語である。
竹林を黄金にそめて、そして落葉すれば竹落葉が敷かれる。
毎年の変わりない繰り返しである。

黄色い杜

まんまると古墳すっぽり竹の秋

いたましいほど竹に覆われている。

県内いたるところにそれとすぐ分かる古墳があるが、その多くが手も入れられず竹林と化しているところが多い。
この時期、産土の杜など、信貴山の麓は黄色くなった箇所が点々と現れ、そこが竹林であることもはっきり分かる。
大和川は西洋カラシナ黄色い花もピークを過ぎようとしていて、代わってカラスノエンドウの紫が堤防の土手を埋め尽くさんばかり。
河原へ降りようとしても、階段がすっぽり包まれてとりつくしまもない。
堤防の除草が待たれる昨今である。

竹取の里より

名の知れぬ古墳すっぽり竹の秋

見るからに古墳と分かる丘である。

その丘全体が竹に覆われていて、どれも黄金色、いわゆる竹の秋である。
盆地にはこんな光景がどこでも見られ、とくに盆地周縁部に多い。
人手も入らぬままと見えて、茂り放題というものがおおかたで、林というより藪というのが似合う。ちゃんと手を入れてやれば、今頃が美味しい筍がいっぱい獲れるだろうに惜しいことだ。

くしくも、定例の句会では句友で孟宗の竹林主が何本もクルマに載せてみんなに大盤振る舞い。盆地には竹取物語ゆかりという里がいくつかあって、そのうちの一つからの到来物だ。
いただいてきたのは家の鍋には入りきれないほどの大きなもので、これが数本あるのでしばらくは筍料理が続きそう。これを書いているうちにも筍をゆがく香しい匂いが立ちこめてきて、いよいよ腹が減った感が増す。

玉鬘ゆかりの

老鶯の指呼の間とても舞ひ出らず
指呼の間の老鶯つひにまみゑえず

隠国の谷は深い。

先ほどから、長谷寺に対座するかたちになる寺領・与喜山から、鶯の声が引きも切らず谺するように聞こえてくる。近寄ってみようと、本山と与喜山の間を流れる初瀬川を渡って、見上げるような山の威容を前にすると、鶯の声はさらに大きく響く。すぐそこにいるはずなので、じっと目をこらすがなかなか姿は捉えられない。

鶯を諦めて、本居宣長が訪れたときあったという「玉鬘庵」跡が近いので行ってみると、そこは竹林になり果てて、ときどきの風にのって竹の葉が流れていくだけである。

玉鬘庵跡すさび竹の秋

目立たない交代

人知らず里の脱皮を竹の秋

当地は朝から雨が降ったり止んだり。
ほとんど雨の上がった午後、飛鳥~談山神社をドライブした。

生憎の空模様とはいえ、やはりあのあたりの緑の濃淡は深い。
石舞台付近では大きな桐の木があったりして目を楽しませてくれたが、濃い、淡いの緑の中に竹林の黄葉が際だっている。すでに筍も成長し、新しい葉に交代するのだ。
こうして、この里に新しい命が吹き込まれる。

追)竹の新芽