山へ帰るか

老鶯の窓を放ちて遠き杜

午後から空気が変わって文字通りの五月晴。

湿度がみるみる下がるので窓を開け放って風を通したら、いつもより遠くで鳴いているようだ。
いよいよ山へ帰る準備をしているのだろうかと聞き耳をたてていたら、さらに声は遠のく。これまで主なテリトリーとしていた八幡さんを捨てて信貴の山深く消えるのだろうか。

音を浴びる半日

老鶯やソロのサックス止んでなほ

民博公園の周遊路をゆくとサックスが流れてくる。

近づけば、四阿でジャズサックスの練習をしているようだ。
アルトサックスのポピュラー音楽に対抗するかのように、園のあちこちで鶯のテナーが鳴り響く。
一周してみるともう練習は止んだようで、サックスの音は聞こえてこない一方、鶯の声だけは相変わらず谷に鳴り響く。

親水公園のビオトープに回った途端、牛蛙のぼおーっと一声あって、それに続くようにひとしきりあちこちから鳴き交わしの低い声が響きあう。今日の散策は、奇しくもアンサンブルのシャワーの中を行くようだった。

玉鬘ゆかりの

老鶯の指呼の間とても舞ひ出らず
指呼の間の老鶯つひにまみゑえず

隠国の谷は深い。

先ほどから、長谷寺に対座するかたちになる寺領・与喜山から、鶯の声が引きも切らず谺するように聞こえてくる。近寄ってみようと、本山と与喜山の間を流れる初瀬川を渡って、見上げるような山の威容を前にすると、鶯の声はさらに大きく響く。すぐそこにいるはずなので、じっと目をこらすがなかなか姿は捉えられない。

鶯を諦めて、本居宣長が訪れたときあったという「玉鬘庵」跡が近いので行ってみると、そこは竹林になり果てて、ときどきの風にのって竹の葉が流れていくだけである。

玉鬘庵跡すさび竹の秋

古墳の傍で

老鶯や鍬振る吾の手をとめる

マイファームでは、毎日のようにほんの間近まで鶯がやってきて名調子を聞かせてくれる。

しかも、それが一匹だけではないのだ。100メートルも離れてないと思われるが、あっちでもこっちでもテリトリー宣言の賑やかなこと。
おかげで、このうえなく長閑で贅沢な時間が流れてゆく。
新緑と鶯声、この時期最高の贈り物だ。

仮住まいの客

老鶯がご機嫌伺ひ仮の宿

仮住まい中の一軒家はかなりガタがきていて住みづらいことこの上ないが、唯一楽しめるのが毎朝の鶯の訪問。近所の家々を一軒一軒周回しては好い声を聞かせてくれるので、だんだん声が近づいてくるのをワクワクしながら待っている。