序章

紫陽花や昏るる廊下のうす明かり
七変化うすみどりしてその序章

紫陽花が映える季節となった。

一昨日の長谷寺は、ようやく色づきはじめたという感じで、いまだ咲いたというレベルではなかったが、それはそれで句材としては十分なものがあったようでいくつか詠まれていた。
花の期間は長いのでいずれまた詠む機会はありそうだけど、まずは小手調べで。

雨が似合う

紫陽花の苑に湿れる句帖かな

今日も紫陽花。

やはり、この嫌われる湿りがちな季節を逆手にとって、ひときわ似合う花は外にないからだ。
庭の片隅の紫陽花も今年は殊の外いい色を出しているので、切りとって花瓶に盛った。

紫陽花苑を歩いていると服の濡れるのにも気づかないことがある。まして、吟行というのは句帖を片手に握りしめているので、いつの間にか天露を含んでいたりもするのだ。
それで、いい句が授かれば問題はないのだが。

近場で見つける

紫陽花のしとどの雨に撓ふなし
いささかの雨のあじさゐ瑠璃浄土
水得たるけふのあじさゐ瑠璃浄土

つくづく紫陽花は雨に似合うと思う。

しかも、わざわざカネや時間をかけて名園、名所を訪ねなくてもいいのだ。
バラや菊のように土を選ぶとか栽培が難しいわけではなく、誰でも簡単に花を咲かせられるのがいい。
通りすがりのよその庭、児童公園、路地の鉢などでも、雨さえ降っていれば紫陽花の方からここだよと教えてくれるので散歩のついでに幾らでも見つける楽しみがある。今年は今のところ空梅雨とはならず適度な湿り具合なので、意外なところに新発見があるかもしれない。

例年より早く梅雨に入った関西以西だが、実は開花とのタイミングがぴったり合って今年こそまさに紫陽花の当たり年ではないだろうか。

江戸しぐさ

紫陽花やどちらともなく傘かしげ

今頃は明月院の石段の両側は見事な紫陽花に飾られていることだろう。

紫陽花は雨が似合うとはいうものの、この石段で注意しなくてはいけないのは他人への思いやり。傘をさしたまま行き交うには狭すぎるので、ただでさえ花が雨露をふくんで重く垂れていたりして、さらに裾が濡れてしまうからだ。
江戸しぐさのひとつともいえる「傘かしげ」など今ではもう忘れられてしまったように思うが、ときにどちらからともなく、さりげなく行われたりすると、ああまだ大丈夫だと安心するのである。

当地でも紫陽花の名所は多いが、矢田丘陵の矢田寺あたりは近くて一度は行ってみたいところだ。