次の代

ひと吹きの花菜に活をもらひけり

ぽつぽつと菜の花の黄色が目立ちはじめた。

あちこちで薹立ちが始まっているようだ。薹立ちは種を成す作業の始まり。次の命を生み出す一歩である。
背を丸めて歩くのはやめ、足もとではなく遠くを眺める季節の到来である。
それほど暖かくなくても、春は実感のものとしてこの身を漬しはじめた。

虫たちの出番

欄干に菜花の風に吹かれけり

土手が黄一色となっている。

西洋芥子菜の類だと思うが、この時期は大和川土手の斜面がすっぽり黄色に染まるのである。
最近はとんと河原を散歩することはないが、この花の時期だけは降りて手に触れてみたくなる。
種採り用に残しておいた小蕪も黄色い花を咲かせていて、こちらはちんまりと可愛い花である。じっとみているとてんとう虫やらアブのような虫やら小さい虫たちが活発に動いているようである。

怖い

通天閣染まり大和は菜の花黄

大変なことになってきた。

人口比で奈良が第3位に進出。
いよいよ抑えがきかなくなってきた。
怖いくらいだ。
当町のような狭い町でも人口増が急で若い家族の流入が多い。大阪通勤も多いので感染リスクも高くなる。新しい団地だから若い世代に囲まれていると言ってよく、気をつけなければと思う。

周縁部

若草山視野の隅なる花菜畑

今年は山焼きがなかった。

というか、神事としての行事は滞りなく済んだのだが、観客も呼び寄せずひっそりと行われたようである。
いつもなら、遠見にも山の下半分が黒く見えるのが今年は枯芝の茶色が飛び込んでくるだけである。
大和川に立つとよく分かるのだが、盆地の一番低いところを流れていくわけだから、そこから見る若草山も低く見えてしまう。いっぽう飛鳥の辺りから眺めると盆地全体が大阪へ向かって沈んでゆくようにも見える。飛鳥など周縁部が最も高くなっているのである。
微妙な傾斜のついた盆地のあちこちに黄色い畑が点在する季節となってきた。

衰退

菜の花を供へ作家の忌日かな
命日に供ふ菜の花盗られけり

春は黄色から始まる。

その代表が菜の花だろう。
関東では房総の花畑が話題になってる頃だ。
昨日12日は、生前菜の花を愛したことで知られる司馬遼太郎の命日で、「菜の花忌」とも呼ばれる。
先月末、この命日に供えて最寄り駅から記念館までの道路沿いに並べられた菜の花の鉢が、何ものかによって切り取られるという暗然とするニュースが届いた。
三千本のうち八百本が切り取られたそうで、悪戯にしては度が過ぎており、偏執的な気味悪ささえ感じてしまう。
花は切られず、蕾だけが狙われたということだから、もしかしたら売り飛ばすための一種の畑泥棒なのかもしれない。なんとも罰当たりなことだ。
収穫したばかりの米が盗まれたり、畑からメロンがごっそり盗まれたとか、世も末というか、国が衰退してゆくとは、この類いのことが日常化、常態化してしまうということだろうか。