楓ほどな

伐採を待つ間の櫨の薄紅葉

南都の沿道には南京櫨が多い。

とくに繁殖力も強いようで奈良公園一帯に我が物顔で進出もしている。
さすがに外来種がこれだけ増えては環境保全にも影響があるということで、これら大木の伐採計画がもちあがり、いよいよ景色が一変しそうである。
とくに目立つのが東大寺大仏殿裏の大仏池付近一帯で、空をおおうほどの大木がずらりと並んでいて、紅葉のシーズンになると厚い深紅の葉がこれ見よがしにひろがる。
それはそれで見事なものだが、やはりどこか異国風で南都にはちと毒々しく映るのである。
古来から紅葉は万民に愛されてきた。桜、欅や銀杏の紅葉黄葉もいいが、やはり楓ほどの大きさの紅葉が里や民家の庭などにはよく似合う。

目に見える変化

薄紅葉して苗鉢の売られたり

よく見るとうっすら色づいている。

炎暑にこっぴどくいじめられて一時はどうなるかと思っていたのだが、どうやら枯れることもなく一部が色づいてきた。
今日の水遣りで気づいたのだが、楽しみがまたひとつ増えたようだ。

晩秋色濃く

がまずみの粒は熟して薄紅葉

紫式部もすっかり葉を落として実だけになっている。

森はもう晩秋の色を濃くしている。
あの山吹だって茎こそ青いが、葉はうっすら色づいている。
全体のトーンも色がつき始めて冬隣の様相さえ帯びてきた。

翼果

紅葉して楓の種の飛ぶ構へ
翼果よく色を極めて薄紅葉

ここ数年に比べれば、明らかに早い秋の訪れ。

庭の銀木犀が初めて咲いてくれたのも嬉しいし、数日前に蒔いた大根が昨日から芽を出してきたのも楽しい。
「彼岸蒔き」と言われ、春蒔きは彼岸過ぎてから、秋蒔きは彼岸までに済ませるといいらしい。奇しくもこのたびの大根蒔きはこの言い伝えに適っていたようだ。

掲句は、月例句会場にある楓の薄紅葉が見事だったので、その真下に立ってみて詠んだもの。
先日、NHK大河ドラマのタイトルに「衝羽根の実」だと書いたが、あれは全くの間違いで、実はこの「翼果」といわれる楓の種だったのだ。
春に実をつけたらすぐに落ちてゆくもので、夏や秋になっても残っているのは散り遅れだとばかり思ってたのが間違いで、実は葉が落ちてもこの翼果はまだ残っていて、冬の風が運んでくれるのを待っているのが正しいらしい。
紅葉の葉も美しいが、この全面に色づいた翼果も透き通るように美しい。

修学旅行生の銀座通り

東西の伽藍を結ぶ紅葉かな
大寺の松の下には薄紅葉

法隆寺といえば大きな松のイメージがあるが、境内に入ると桜もあれば紅葉もある。

夢殿がある東院と五重塔のある西院は長い一直線の石畳で結ばれていて、その石畳はそのまま西院の西端まで伸びているので非常に長い通路である。季節にはその通路を全国各地からの修学旅行生が行き交うのも法隆寺の風物詩だろう。
その通路とも言うべき石畳の連絡路には、北側だけに桜が植えられていて春には春の、秋には秋の彩りを添えている。どうして南側にないのか理由は分からないが、この片側だけ控えめに植樹されているところはまるで大路のような風格があって大変好ましい。

もう桜紅葉が始まっていて、松の濃い緑とのコントラストがこれから際だっていくシーズンを迎える。

下町歩き(続き)

権現の杜を借景薄紅葉

根津権現では、大鳥居の両端にある見上げるような銀杏がほのかに黄葉していた。
さらに降ると街路樹の櫻も薄紅に色づき始めている。
一方で、あちこちの街路樹は猛暑のせいで相当痛めつけられているようだ。
近所のハナミズキなどは褐色に葉やけしてしまって、実だけが赤いのが異様な光景に映る。
神社などに古くからある樹木というのは、水分や空気が根に十分供給されるなどして生育環境が破壊されずにいるのだろう。
街路樹の周囲をコンクリートで固めるなどは見るだに悲しい。