転じて雪に

風花の序破急の急短くも

ふと外を見やると風花が降りてくる。

きらきらとダイヤモンドのような固い光りを放ちながらゆっくり落ちてくるのである。珍しいなあと見ていると、やがていつもの風花のように風にもてあそばれるように右左に揺れ空中に漂う間が伸びてきた。
最後はもう吹き上げられるように乱舞の状態になったかと思うと、すっと消えてしまうのだった。
あとは、もとのように冬の日差しがあるのみ。
その後1時間ほどもしないうちに空が暗くなり、今度は雪である。1時間ほど降ったろうか。車の屋根をみると1センチほど積もっているようである。越してきて初めてみる雪景色である。

実景と虚景

風花をおろす生駒の空青し
湯畑の風花おろす白根山

雨かもと言う予報だった。

折りたたみ傘をしのばせたが、案に反して大阪は晴れ。
今日の題は「風花」。
いつもの年なら何回か見ることがあるのだが、こんなに暖かい冬ならば今年はもう想像で読むしかない。
生駒の上空は青空。風花は生駒颪がもたらしたことに。
NHK全国大会のため主宰は不在で主宰選はお預け。
湯畑のもうもうとした白い湯気、そこへ白根山から白い風花が飛んできて。白づくしの実景だが。

寒波来

風花や鵞毛袋の開きしごと

気のせいだろうか。

ちらちら舞うのは風花だと思ったのだが。
季節としてはちょっと早いような気もしたが、雪虫ならもっと小さいはずだし、風に煽られてふわふわしていることからも鵞毛のような雪ではなかろうか。
今日から12月。
前半は年に数度しかないクラスの寒波だという。まだ体は初冬のままだし、覚悟だけでも厳冬に耐えるよう備えなければならない。

荒ぶる神も

和魂の舞ふや龍田に風花す

大和川が大阪に抜ける狭隘な部分を風が吹きぬけてくる。

まるで鞴のようだ。地形で言えばちょうど関ヶ原のようなものかもしれない。
龍田に風の神が祀られたというのも、そういうような地理的な要件が関係しているかもしれない。考えてみれば、外つ国からの到来物も龍田を経由して大和に入ってきたわけであり、邪悪なものが入り込まないようにと言う願いもあったはずだ。
龍田の荒ぶる神がお怒りになると、国には災害が頻発し凶作、疫病も流行るわけで、昔から風鎮めの儀式がおこなわれてきたことは万葉の歌にも詠まれている。
だから、日照り雨ならぬ日照り雪が風に乗って飛んでくるというのは、むしろある意味で龍田の神のご機嫌がいいときで、さながら和魂が舞い降りられるようなものかもしれない。
大和川の河川敷に立って、龍田に向かうと信貴山颪にのって三諸の山からさかんに風花が舞いくだってくるのがよく見える。

冬本番に

風花のひたに顔打つ風も刺す

この冬初めて風花らしきものが舞った。

「舞う」と言うよりは、横殴りに飛んできたという感じに近い。
冬晴れだが、西から東への雲の動きは速い。

いよいよ本格的な冬の到来と覚悟する一日である。

忖度

風花を美しと称ふる酷さかな

人は風花を美しいものだと言う。

歳時記に季題として採用されているほどだから花鳥諷詠に適うのだろう。
だが、それは太平洋側に住み雪掻きもしなくて済む人間だけにしか通用しないのではないかと思うのだ。

ある意味傲慢とさえ思えて仕方がない。あるいは、苦しむものへの応援歌なのだろうか。

雪の末路

風花や決断できずに惑ひ舞ふ

妻が窓の外を指さす。

晴れているのに雪が舞っている。信貴山を超えて飛んできたらしい雪が、風のまにまにあちらへ飛ばされこちらに飛ばされしている。ちゃんと雪として降りたかったのに、道に迷った末に大和盆地にまで飛んできたのだろう。