Uターン

食積のごまめにきしむ奥歯かな

おせち料理のなかで一番最初に箸がのびるのがごまめ。

ただ、かつては自慢の歯が最近弱って、骨ごといただくごまめに思い切って噛むのをためらうようになった。とはいえ、やはり好きなだけあって量が減ることはない。
次に好きなのは黒豆で、こちらはまだちゃんと箸でつまめるので脳はまだ大丈夫だと思う。
年末から肉だの魚だのうまいものばかり食っているし、子に合わせて塩分もいつもより濃いめなので、明日からはまたいつものエコな食い物にもどって体調をととのえる必要もあろう。
いまのところコロナも持ち帰らなかったようだし、喉も大丈夫。
明日早くのUターンの無事を祈るのみである。

餅腹

食積の総じて薄き塩加減

数の子を除いてどれも薄味。

年々歳々薄塩となるにも馴れてはきたが、さすがに箸がよく延びるのは醤油味がきっちりしみたごまめ、あるいはもともと塩分を含む蒲鉾や数の子、できあいの昆布巻など。ただ、長年舌が薄味に馴れているせいか、どれも少し塩っ辛いように思える。
そのせいで喉がよく乾くのか、朝から何杯目かのコーヒーもめずらしい。
酒を飲まないし、帰省中の婿も下戸なので屠蘇もなし。
あさから餅でふくれた腹に午後は餅入り善哉をまたたくまに平らげて、この勢いではさすがに胃の方がちと心配になったりして。

あけましておめでとうございます。
ことしもまた俳句三昧の年になりそうですがよろしくおつきあいください。

熊野のサンマ、やーい。

食積の一段で足る暮らしかな

久しぶりの夫婦だけの正月。

洋食化、冷蔵庫など保存機器の発達、そして何より屠蘇一滴も飲めない夫婦とあらば、ここ数年重箱に詰めるほどの量や種類のお節などは作らないようになった。
それに味付けが随分薄くなったことも関係してようか、エビだの昆布巻だの味の濃いものはすっかり敬遠されて、用意されるのは、せいぜい、豆の煮たもの、田作り、酢の物、数の子、あとは蒲鉾などの練り物くらい。それも、およそ1、2食で食べきれる程度の量である。

元日の夕食となれば、もう茶粥とサンマ丸干し一本でさっぱりいきたくなってしまう。
ただ、今年はいつも頼みとしている干物屋の体調がわるいらしく、熊野の丸干し、生節が手に入らない。
こんな時勢だから、取り寄せの店は他にいくらでもありそうだが、これとて初めてのところでは、どんなものを食わせられるか分かったものではないし。そのうえ、やたら値段が高いのだという。
この店のものは、年末の贈答に使っても決して見劣りしない見事なものだけに、毎年楽しみにしてくれてる方面からは、どうしたの?と聞かれる始末。

この、庶民のやさしい味方・秋刀魚丸干しと、餅入り茶粥を食って初めて正月気分に浸れると言うに、今年は何と言うか、画竜点睛を欠くというか、なんとも締まらない正月ではある。
干物屋は歳も同じくらい。まだまだ寝込むような年代ではないのだから、早くカムバックしてくれないかな。