気にしない

本性は縮れ毛なりし洗ひ髪

二人揃って伸びてきたと言うので自宅散髪の日である。

そうなれば少しでも涼しいうちにということで午前中に済ませたい。
一年ほど前から何度となく刈っているので、短時間でお好みのスタイルにするのもお手のもの。
家人の若い頃は太くて健康な髪だったからであろうが、最近は縮れ毛の傾向があるようである。そうなるとバリカンもなかなか思うように運ばず難しいのであるが、これにもだいぶ慣れた。
自分の髪は自分でやるが、これは自己責任ということになるので適当に済ませてしまう。したがって毎回どこか変な場所ができるが、自分ではよく見えないのでどうということはない。要するに気にするか、しないかである。

ボリューム

髪切つて鏡にほそる髪洗ふ

外から帰るとすぐにも全身にシャワー浴びたい。

毎回そんなことしてられないから、最低限顔を、首を、そして上腕から腕全体を石鹸で洗い流す。そして火照った体に扇風機の風を当ててやる。
そんな暑くて不快な日が年間の半分ほどを占めるようになって、一日二回くらい風呂場に行きたくなるような日々である。
自分で髪を切るようになって一年、さすがに伸びた髪は鬱陶しいのでバリカンでさっぱりした。襟元に髪屑がこびりつくのですぐに洗髪する。梳き鋏機能でばりばり切るとただでさえ薄い髪がさらにボリュームをなくした。

崩れない

をんなものゴムにたばねし髪洗ふ

ひっつめ髪というのだろうか。

髪もずいぶん伸びて少々うるさくなってきたのでポニーテール風に束ねている。
十分に長くはないので家にある適当なものを選んで家人にゴム紐を巻いてもらっているのだが、まるで幼子が母親に髪を結ってもらってるようでこそばゆいような気持ちだ。
今日はそのまま歯医者に行くため出掛けようとすると、「そのまま行くの?」と後から鉄砲を打ってくる。自分では別に問題ないと思うのだが、家人から見れば「みっともない」ということだろう。古稀も4年も過ぎればそんなことはもうどうでもいいと思っているのでさげすみの視線は無視することにする。
ともあれ、歯科のチェアに仰向けになってもしっかりと結んでくれた髪はいささかも崩れなかった。

二度洗い

刈り上げてもらひし髪をまた洗ふ

久しぶりの床屋さん。

自粛解除してしばらくたつのでもういいかと思ったらさに非ず。
朝早く行ったのにもう並んで待つほどの客の出足に溜息をつきながら順番待ちに加わった。
誰に会うわけでもないし、家人に頼んでも切ってくれないまま髪ももうずいぶん伸びて、思い切り夏用に刈り上げだ。
当分順番待ちをしなくても済むためにも短くして正解である。すっきりとした。
シャンプーはいつもしてもらうのだが、風呂に入れば最初に頭を洗うのがルーチンなので面倒だとはちっとも思わないので自然に二度目の髪洗いとなる。
キューティクルというやつは洗うと傷んで修復に一日かかると言うから、髪にはよくないのだろうが床屋で降りかけられたトニックの臭いも落ちてすっきりするのだ。

烏の行水

髪洗ふ床屋の仕上げ気に入らず

下手すると日に何度も髪を洗うこともある。

朝の野良でひと汗、昼寝でも汗、ちょっと運動しても汗。
簡単なシャンプーで済ませるものもふくむが、着ているものをすべて脱いで全身を洗い流さねばとても過ごせないような日が今年はやけに多い。
風呂にしたって、冬ならば15分も浸かっている風呂も、さすがに今は烏の行水程度。温度も体温に近いレベルまで落としてちょうどいい。体を温めるというより、汗さえ流せればいいのだ。
使う石鹸も頑固に固形。
木の葉髪だが、洗う時間は昔と変わらない。風呂ひとつはいるにも、毎日きちんと守っているルーチンが狂うと何かヘマをしでかしては叱られてはいるが。

至福の時間

托鉢の濁世の塵や髪洗ふ

雲水姿をしていても髪を洗うのだろうか。

網代笠の下はおそらく丸坊主で髪と言うよりは頭皮を洗うのだろうが、一日の托鉢を終えて宿坊に帰り着き、夜の修行が終わって一日の汗を流す時間が至福の功徳をいただく時間なのではないだろうかと想像してみる。

ちょっと動いただけでやれシャワーだ、ビールだと大騒ぎするのは凡俗の輩。
大した欲とてもうないのだし、それくらいは許されても言いように思うがどうだろう。