くなさかを走る

ローカル線縫い刺す県道麦の秋

伊賀盆地のいまは稔りを迎えた麦田と植田が混じって美しい。

周りの山々も緑をいよいよ濃くし、心が安らぐような安心感を覚える。
ふだんならば盆地を抜けるのに15分もあれば十分足りるのだが、工事渋滞で伊賀から甲賀へぬける道をたどった。今はローカル線格に落ちた感ある関西本線の単線の踏切を越える道は麦穂と植田の間を抜ける道でもある。
知らない道を走る不安を全く感じないのは、自然のゆたかなふところに身をゆだねているからかもしれない。
やがて、目の前に第二名神のコンクリートが現れると、気が引き締まると同時に現実にかえったような気がした。

夏化粧

立看板ど真ん中なる麦の秋

三輪一帯が茶色に染まっている。

三輪山の若葉も天辺だけとなって常緑の落ち着いた色にもどり、いよいよ夏色濃しだ。
ただこうしたせっかくの光景も、太陽光発電所と化した放棄田が鈍い光りを返していたりして、小津の舞台もすっかり変貌してしまった。
こうした麦畑は二毛作はせずに休ませるのがならいのようである。
あとしばらくは麦が風に靡く様を楽しめるだろう。

すべて世は事も無し

麦秋やふいに畑に鳥落ちる

小津の映画の光景はもうない。

かろうじてある一画だけが残されているが、残念ながら三輪山の裾は人家がたてこんで、三輪山を借景としたふるき大和の風景はもう望めないのである。
句友といっしょに眺めていると、たまたま目の先に降りてくる鳥影がある。雲雀だ。絵に描いた通りにである。
直接巣のそばには降りないと聞いているが、まずはあのあたりに巣があるのだろう。
一羽は相変わらず頭上で名告りをあげている。

かろうじて

屋上にタオル干すなり麦の秋
三輪山の隠しやうなく麦の秋
松ッ阪へ行ってましてん麦の秋

素麺の町。

それなのに、かつて一帯がほとんど麦畑だったという面影はどこにもない。かろうじて大鳥居を望めるところに何枚かの畑があるだけだ。やはりここでも輸入小麦粉に頼るんだろうか。あまつさえ、製品を瀬戸内などにOEMしていたくらいだから、いったん地に墜ちたブランドを取り戻すのはさぞ大変だろう。

スカッと晴れた空に洗濯物を並べるのは気持ちいい。眼下には麦畑が広がっている。それを地上から眺めれば、女帝・持統さんになったような気持ちに。

これが小麦色

麦秋や遠目にしるき大鳥居

以前にも詠んだ光景。

三輪山に向かってさえぎるもののない眺めだ。
奈良盆地のなかでは珍しく麦畑が続いている。
ここは盆地西から桜井方面に斜めに走る県道14号線、飛鳥への近道でもあるので何度も利用している馴染みの道だ。盆地を南北に貫く国道24号線を横切ってしばらく行くとやがて工場や民家が途切れ、三輪山の姿がどんどん近づいてくる。その間は一面に麦畑が広がっていて、春には青々していた畑が今日は文字通りみごとな小麦色だ。

大神神社の黒い大鳥居もいよいよ近づいてきた。

さえぎるものなし

この道をたどれば三輪へ麦の秋

先月の同級生句会兼題「道」で首席をいただいた句です。

周辺の山と重なってはっきりとは見えませんが、写真中央に三輪山がみえます。
ショットは磯城郡田原本町、飛鳥川中流域でようやく麦畑を見つけることができました。
というのは、自宅近辺、斑鳩地区などどこを見渡しても麦畑がなく、寂しく思っていたところにこの光景を発見したので思わず万歳して写真に納めたものです。

三輪山のあたりは視界をさえぎる大きな建物もなく、このように遠くからでも山の姿が確認できます。
三輪山のちょうど真西からみた写真ですが、すぐ右手(南)にはかの昔歌垣が行われた海石榴市(つばいち)(桜井市)があり、三輪山からすぐ左手(北)には卑弥呼の墓ではないかと言われる箸墓古墳(桜井市纒向遺跡群)がある山の辺の道が北に向かって伸びています。