主なしとて

立ち退きは残り一軒黄水仙

住宅街の一画に日本料理店があった。

通るたびに、こんなところで商売になるのだろうかと不思議に思っていたが、いきなり取り壊し工事が始まって、あれよあれよいう間に更地になってしまった。
県道とはいっても大型が通行禁止になるくらい道幅が狭く、ここは拡幅工事が予定されているところ。
すでにかなりの家が立ち退いているようで、いずれ店じまいが余儀なくされていたのだろう。

なにもかもなくなった更地だが、玄関脇の植え込みが僅かに形をとどめていて、そこには黄水仙が肩を並べるように咲いていた。

鎮魂の吹奏

英霊に喇叭吹かする黄水仙

彼岸の墓参に行ってきた。

校歌に謳われた山も、その前山も遠霞がかかってまさに彼岸日和。
いつものように、連れ合いの親戚の墓にも花と線香を捧げに行ったところ、先にお参りした跡があって黄水仙がたむかれている。七基並んだ墓碑を読むと、それらすべては先の大戦で中支、泰国、比島、レイテ島などアジア各地で命を落とした若い兄弟、従兄弟たちのものである。黄水仙は喇叭水仙とも言われるが、まさに散った英霊の御魂に鎮魂の吹奏を捧げるように花弁を高々と突きだしていた。

法面で

山裾を拓きしなぞへ黄水仙

住宅地を上へ上へと登ってみた。

隣町は斜面一面が碁盤のように区切られて、低いところから順に一条、二条という風に通りの名前がつけられ、高いところでは十一条まである。さらに、後から開発されたのだろうか、その上に上一条、上二条という通りもあって、この辺りから見下ろす奈良盆地の景色はなかなかのもの。自宅は八幡さんの森のかげになっているので見えないが、はるか下の方である。
こういう傾斜地というの法面がいたるところに顔を出していて、その法面を利用した植樹や植栽も目を楽しませてくれる。
今日は、誰も採らなかったのだろうか蕗の薹のすでに薹が立ったのも発見したり、あのおちょぼ口のような見事な喇叭を見せてくれる黄水仙が日だまりに群れているのも楽しむことができた。

黄から始まる

世の色のここ一点に黄水仙

鮮やかな黄色である。

春先の水仙と違って、3月頃に咲く黄水仙はやや大ぶりで、花全体が見事な黄色である。
もともと黄色が好きな性格もあるが、蝋梅といい連翹、万作。春は黄色から始まるのではないかとさえ思う。